――“もう一つの中国”への旅(旅137)
ベンツの車列に後続する随行の役人や新聞記者を乗せたと思われる数台の大型バスは、社名の文字も外装もロゴマークもそのままの福島交通、愛媛交通、京成バスの中古車。今はどうなっているか不明だが、当時は新車輸入禁止措置が取られていたから、走っていた多くは日本からの輸入中古車だった。それにしても英国殖民地由来の右側通行の道路を、左側通行用に作られている日本車で走るわけだから、相当に不便で危険だと思ったのだが。
唯一の支援国の実力者が率いる代表団一行に軍事政権が用意したのが日本のバス会社の中古。なんとも珍妙な光景に面喰らいはしたが、これがタンシュエ政権下のミャンマーをめぐる国際社会の現実と納得した。一種の“不都合な事実”といったとこころだろうか。
ホテルから出て先ず向かったのが、この街を象徴するシュエダゴン・パゴダ(瑞光大金塔)。抜けるような紺碧の空に輝く太陽の光を受け、パゴダは眩しいばかりに燦々と照り映える。一面がタイル張りの境内の各所に設けられた祈祷堂に間を裸足の善男善女が行き交い、熱心に祈りを捧げる。
時はユックリと流れ、日本のメディアが盛んに報ずる「軍政VS民主派」といった対立図式からイメージされるようなトゲトゲしさは感じられなかった。だが敬虔な仏教徒であるからこそ、善男善女もイザとなれば阿修羅の形相で軍政に対する戦いを挑むのだろう。
祈祷堂に柱に目をやると、柱ごとに寄進者の名前が刻まれている。「仰光商人街××号」と地番まで書かれた漢字名を多く見掛ける。シュエダゴン・パゴダを早々に切り上げて仰光商人街へ。そこは小汚く薄汚れ雑然とした裏通りが特徴の東南アジアのどこでも見掛ける極く当たり前のチャイナタウンであり、なぜか心が落ち着くから不思議だ。
同郷会館では旅緬潮州会館、緬甸福建同郷総会、仰光雲南会館、宗親会館では譚家館、朱家館、隴西堂(李一族)、宝樹堂(謝一族)、太原堂(王一族)、同業会館では仰光酒楼茶室職工公会、魯城行(大工・左官・鉄工)、さらに緬華青年国術社の看板がみられた。
多くは扉が閉まっていたり、職員がコチラをチラッとみて無言のまま奥に引っ込んでしまったり。魯城行の脇の階段を上って緬甸広東工商商会の扉をダメモトで押すと、コチラが日本人だった物珍しさも手伝ってか、数人の職員が親切に応対してくれた。
彼らの説明では、①ヤンゴンには商工会的な組織は3カ所あり、緬甸広東工商商会が最も新しく2000年3月に成立し、主たる活動は香港、マレーシア、シンガポールの企業にビジネス情報を提供。②シンガポールの企業の投資意欲が最も強く、ヤンゴン最大の第一百貨公司は1988年にシンガポール資本によって創業されたほか、翌年にはシンガポールを代表する大衆、華僑の両銀行が営業開始。③シンガポールの華人資本はホテル、不動産、建築、金融、海運、薬品原材料、海産物などの多種のビジネスに強い投資意欲を示す――「やはり血は水より濃い」「これから忙しくなる」と語る職員の明るい顔が印象的だった。
同商会で手渡された資料には、当時のヤンゴンの華人社会では3つの商工会組織、25の同郷会館、67の宗親(同姓)会館、12の同業会館、6つの華人学校同窓会、広東や福建の地方劇を演ずる劇団を含む15の文化団体、5つの互助組織などが活動中と記されていた。
開店休業の組織もあろうが、長い軍政下を生き延び、いまや「商機到来!」と雀躍と動き出す。そのしぶとさと逞しさには恐れ入るしかない。カテマセン!マケマス!《QED》