――“もう一つの中国”への旅(旅131)
企業家として第一線に立ち続けるだけあって、体力・気力・執念は驚嘆するしかない。
参考までに、対外開放初期から現在までの共産党政権に対する謝国民の主だった“貢献”、つまり謝国民と共産党政権の双贏(ウイン・ウイン)関係の跡を整理しておくと、
1)外資第一号:鄧小平が強力に始めた開放路線の前途が不透明だった時期、謝国民は鄧小平が開放政策最前線と位置づけた深圳に乗り込み、大型の近代的養鶏場を建設した。この“英断”を、中国政府はCP(正大)集団を「外資第一号」と認定することで応えた。
「外資第一号」という“勲章”が開放当初の未開拓な中国市場で、CP(正大)集団の経営にフリーハンドに近い権限――中国全土での傘下企業を展開する――与えたであろうことは想像に難くない。
2)天安門事件(1989年):比較的順調に成長していた中国経済だが、天安門事件を機に西側の制裁措置を喰らい、鄧小平がブチ上げた富強の夢は頓挫の危機に直面する。
天安門事件から1年ほどが過ぎた1990年4月、鄧小平周辺への根回しを経た後、謝国民は北京で鄧小平と一対一で話し合いを持つ。
開放政策への全面協力を打ち出し、苦境に陥っていた鄧小平を手助けしたことから、当時、内外から「最高実力者」と呼ばれていた鄧小平によって謝国民は「数千万愛国同胞の代表」との“お墨付き”を与えられている。
かくてCP(正大)集団は恰も無人の荒野を驀進するように中国市場を席巻しはじめる。最高実力者が後ろ盾となって控えているわけだから、怖いものがあろうはずがない。
3)第3回世界華商大会(1995年):世界中の華人企業家を糾合し中国をビジネス面で側面支援すべしとの狙いで始まった同大会のバンコクでの開催を財政面から支えた。
4)香港返還(1997年):中国政府主導で進められていた一連の香港返還作業を、香港の親北京系有力企業家と共に「香港明天更好基金」を組織して全面支援。7月1日前後に香港を挙げて繰り広げられた祝賀式典費用はCP(正大)集団の提供とも伝えられた。
5)中国僑商投資企業協会(2008年):インドネシアの李文正(モフタル・リアディ-)ら有力華人企業家を糾合し、華人企業家の中国投資、中国企業家の海外投資の支援組織として、国務院僑務弁公室の指導の下で組織化。当時、謝国民を「中国政府の投資顧問」とまで呼ぶ向きもあった。
6)華商領袖円卓会(2010年):国務院僑務弁公室、重慶市人民政府、重慶市人民政府外事僑務弁公室が「西部大開発」の推進を目指して開催。謝国民は中国僑商投資企業協会の主要メンバーを率いて積極参加している。
7)華商円卓会議(2011年):海南島での博騖亜洲経済論壇(ボアオ・アジアフォーラム)に参集した有力華人企業家を糾合して開催される。謝国民はリード役を務めた。
8)第1回世界華僑華人工商大会(2015年):79の国と地域から221の華僑華人商工団体、300人の華人企業家が北京に結集。主催は国務院華僑務弁公室と海外交流協会。大会冒頭挨拶は外交面での最高責任者の楊潔篪国務委員(当時)、基調講演は裘援平国務院華僑務弁公室で、大会公式行事において謝国民は常に楊、裘に次いでNo.3の立場で行動していた。
李克強首相(当時)が駆けつけ大会参加者と面談し記念撮影したが、謝国民が参加者を代表して李首相と握手を交わした。ここからも彼の位置づけが見て取れるはず。《QED》