【知道中国 2877回】                      二五・八・仲六

  ――“もう一つの中国”への旅(旅127)

再び長い引用になるが、敢えて謝国民の発言を続ける。

「外国人のタイにおける投資は、回り回って我々に利益をもたらし資産の創造につながる。外国人がタイで不動産を購入したとしても、必ずしもタイに住み続けないとするなら、彼らは管理を委ねるために必然的にタイ人を雇用しなければならない。

だから外国人に不動産を売却したとしても、タイの損失にはならない。すべては法律で規定すべきであり、それを先ずはEEC(「東部経済回廊」と名づけられたバンコク東郊の経済ゾーン)で試みたらどうだろうか。

私が考えるタイの国家指導者の理想像とは、国民のために機会を創造し、決断のできる人でなければならない。だが、これまでの指導者の中には批判・攻撃を嫌い、さらには名声が地に墜ちることを恐れた例も見受けられる。個人的利益などを考えることなく一心不乱に働く指導者がいたなら、我々は汗を流すことを全く厭わないだろう。

世界は変化している。その変化に伴って我々も変化しなければならない。新しい物事はより速く、より高度に発展する。困難で複雑な事態も簡明化してくる。この変化に対応できず旧来からの手法に拘るなら、やはり国際社会から淘汰されるしかない。

貿易の二極化、地政学問題、戦争を背景にした国際社会の現状を考えるに、タイはすべての国や利益をもたらしてくれる外国企業と交流すべきだ。一方の勢力に肩入れするとか、あるいはタイには関わりのない政治問題に手を突っ込むとかいったような権限を、タイは持ち合わせてはいないのである。

ある国に不満を持つことで他方の国の立場に立ったとしても、経済という視点に重きを置いくとするなら、誰とでも、どんな国とでも交流すべきだ。そうすることで間違いなく利益を導き出すことができる。

依然としてアメリカは世界経済の指導国ではある。最大の市場は中国ではあるが、最も優れた技術と金融を握るのはアメリカであり、そうであればこそ、やはりアメリカと手を切ることはできない。

だからこそ、我々はバランスを保たねばならないのである」

以上は、時期的にもじつに絶妙なタイミングの発言であり、であればこそ謝国民は思いもよらぬ方法で「バランスを保たねばならない」との自説を実践してみせてくれたのだ。

この発言から2週間が過ぎた2022年12月14日、トヨタがタイ進出60周年を期して、CP(正大)集団と提携した脱炭素をテーマにした野心的プロジェクトを打ち出したのだ。

この日、トヨタの豊田章男社長(当時)の会見がネット配信された点などから考えれば、我が国メディアの大方の報道が、この国際プロジェクトがトヨタ主導と捉える方向に傾きがちだったとしてもムリからぬことではある。

だが、ここに示した謝国民の主張に照らしてみるなら、我が国メディアの見方が的を外していることが判るだろう。その背景を考えるに、日本の経済メディア一般の華人企業家に対する見方が旧態依然たるレベルから抜け出せない。いや抜け出そうともしないままに安穏と過ごしているからではないか。それがまた我が国メディア大方に見られる度し難い悪弊なのだ。時代の最先端を捉えていると自負するが、じつは旧態依然・因循固陋であると、敢えて指摘しておきたい。

CP(正大)集団との提携に向けた動きに対し、豊田社長は「タイを思い、地球を思う両社が、それぞれの得意分野やアセットを活用し、今すぐにできることをしようと合意した。両社がお国からありがとうといっていただける一歩を踏み出す。その行動こそが、未来の景色を変えていくことにつながると信じている」と語っていた。《QED》