【知道中国 2863回】                      二五・七・念一

  ――“もう一つの中国”への旅(旅115)

タイの上層社会は国王(王室=A)を頂点とし、その下に連なり支える高級官僚(B)、華人企業家を軸にした財閥(C)、国軍(M)によって維持・経営されてきた。これを「ABCM複合体」と呼ぶ。バンコク銀行の陳(ソポンパーニット)一族もCP集団の謝(チョウラワノン)一族も、このパワー・エリート集団に属していることはもちろんだ。

この集団の外側に在って政治的発言権を求めて動き始めたのが、1980年代後半からの経済成長の中から生まれた新興勢力や知識人・学生、社会の中間層であり、その象徴的存在としてタクシン元首相(曾祖父の丘春盛が潮州からタイへ)を位置づけておきたい。

一般に我が国メディアでも「豪腕強欲金権政治家」の典型と罵倒気味に盛んに伝えられるタクシンではあるが、今世紀に入ってからのタイの政治の現実的な流れに照らしてみるなら、タクシンは彼個人を指すというより、ABCM複合体が差配する社会システムに異を唱える新興勢力を象徴する《政治的記号》と見なした方が、現実の政治状況をより的確に反映していると考える。

2005年末からほぼエンドレス状態で現在にまで続く黄シャツ派と赤シャツ派の対立の根本的要因を考えるに、その根っ子の部分に政治の仕組みと社会の変化に対する考え方の違いが色濃く反映されている。つまり旧来からの政治の仕組みを続けようとするのか(黄シャツ派)、それとも社会の変化を政治に反映させるべきだ(赤シャツ派)――である。

今年(2025年)、カンボジアとの国境紛争をキッカケにして突如として浮上したスキャンダルが原因となって、7月1日に憲法裁判所がペンタートン首相(タクシン元首相次女)に対し職務停止の判断を下しているが、今次政変劇の底流にも基本的にはABCM複合体が持つ“見えざる手”を認めることが出来るはずだ。

ここ20年近いタイにおける政治の混乱を振り返ってみると、総選挙では赤シャツ派を中心とする勢力の優勢が続く。事実、下院選挙に関する限り当初の赤シャツ派に加え、直近2回ほどの総選挙においては都市部の若者を軸にした新しい政治環境を強く志向する勢力が支持を拡大している一方、黄シャツ派の長期低落化傾向は否めそうにない。

いいかえるなら、我が国メディアが「民主派」と盛んに持ち上げ煽ってきた黄シャツ派だが、じつは総選挙で過半数の民意を勝ち取ることが出来ない。彼らは大仰に様々なリクツを並べはするが、実際には総選挙が怖い。できることなら総選挙を回避したいのである。

じつは国会内外における黄シャツ派劣勢、その裏返しとしての反黄シャツ派優勢の状況を、総選挙といった通常の「民主的手続き」では逆転させることは至難、いや有り体に言うならば不可能に近い。一例を挙げれば、かつては絶対王制とクーデターとに反対する運動で中心的役割を担っていた民主党が、2014年にクーデターへの期待を臆面もなく強く標榜していたことだ。

いわばABCM複合体にとって好ましからざる状況を逆転させる最後の手段は、国軍が抜き払うクーデターという伝家の宝刀しかなかった。その典型が2006年と2014年のクーデターだった。国軍が赤シャツ派優勢の政治状況を実働部隊によって逆転させたことで、ABCM複合体は息を吹き返すことができたというわけだ。とどのつまり民主党を含む黄シャツ勢力が恐れたのは、自分たちが社会の支配的地位を失うことではなかったか。

これを要するに、ABCM複合体主導の政治体制を復元させるための原動力が国軍、わけでも最強の陸軍であり、その頂点に陸軍司令官が立っているということになる。

以上を頭の片隅に置いたうえで、2022年11月14日に行なわれたタイで最も影響力を持つ華人企業家一族による結婚式会場に改めて目を転じるなら、そこに当時タイ政治を牛耳り、様々な利権を差配していた以下の重要人物を認めることが出来るだろう。《QED》