――“もう一つの中国”への旅(旅116)
結婚の見届け人はスラユット枢密院議長で、主賓はプラユット首相。これに同首相の後見人でもあるプラウイット副首相に同副首相と共にプラユット政権を支えるアヌポン内務大臣――この4人によって、当時のタイ政治は牛耳られていたのである。
ここで4人の略歴を示しておくと、
スラユット枢密院議長は陸軍司令官(1998~02年)を務め、2006年のタクシン政権を打倒したクーデターによって首相に就任している。枢密院議長代行を経て2020年に枢密院議長に就任。その政治的立ち位置を敢えて示すなら、ワチュラロンコン国王側近としてABCM複合体全体の調整役といったところだろう。
プラユット首相も陸軍司令官当時の2014年にインラック首相(2011年就任/タクシン元首相実妹)追放したクーデターを指導して首相に。暫定期間を含め憲法が規定する「任期上限8年」を過ぎた後、2019年に首相の座を去った。ここで注目しておきたいのは憲法裁判所――ABCM複合体の“法的門番”――が下した「首相任期期限は同規定を盛り込んだ現行憲法発効の17年4月から起算すべきである」との判断であり、これに従うなら「プラユット首相の任期は2025年まで延長可」と示唆ことである。
プラウイット副首相も陸軍司令官経験者(2004~05年)で、長年に亘って国軍の政治的影響力の中心に位置し、プラユット首相の後見役であり、同政権の連立体制を束ねる重要な役回りを務めていた。
アヌポン内務大臣も陸軍司令官経験者(2007~09年)であり、プラユット政権の最重要閣僚の1人でもある。
いわば結婚式に参列した4人の陸軍司令官経験者は2005年末以来の政治的混乱――タクシン支持派(赤シャツ派)対反タクシン派(黄シャツ派/王党派=民主派)――の渦中で、ABCM複合体の利益を守る中軸の役割を担ってきたことが分かるだろう。やや強引とは思うが、彼ら4人はABCM複合体の“守護神”と形容しておきたい。
以上を知った上で見直すなら、陳家と謝家の結婚式は4人の“守護神”の揃い踏みの場でもあったことになる。しかも結婚式当日はタイの政権にとって極めて重要な外交日程が目白押しの一日だったわけだから、この結婚式は重要な政務に勝るとも劣らないほどの意味を持っていたと考えて決して不思議でも誇張でもなかった。
これを別の角度から捉えるなら、それほどまでに重要人物を4人揃って呼び寄せるほどの影響力を保持していることを、両家は内外に向かって誇示してみせたことにもなる。ここからも、タイ上層社会における両家の存在感の大きさを想像することは可能だろう。
目前にはAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議(18~19日)が迫っていた。習近平国家主席、岸田首相をはじめ各国首脳を集めた大型国際会議を議長役として見事に取り仕切ったなら、プラユット首相は自らの存在感を内外にアピールすることが出来るはず。
であればこそ、政権としてもAPEC首脳会議運営に失敗は断固として許されない。政権の浮沈を賭け万全の準備態勢で会議に臨まなければならなかっただろう。
国内政治に目を移すと、2023年の早い時期に予定されている任期満了に伴う総選挙を前に与党・国民国家の力党(PPRP)の党内がガタつき、与野党を含む政党再編が進み、首相の政権運営に黄信号が点灯しはじめただけに、APEC成功をバネに政権の求心力を再整備したなら、憲法裁判所が判断した2025年までの政権掌握の可能性は高まる。
こうみると首相はもちろんだが、副首相にしても内務大臣にしても、文字通り“他家の結婚式”に顔を出しているような余裕はなかったはずだ。超多忙で微妙な時期であるにもかかわらず、4人の“守護神”は両家の結婚式に出席している・・・ナゼだ。《QED》