【知道中国 2868回】                      二五・七・卅一

  ――“もう一つの中国”への旅(旅120)

中国では出身地と商売上手の関係について、こんな風な言い方を聞いたことがある。

――中国一の商売上手といわれる上海人だが、それよりスゴイのが潮州人。だが、その潮州人より凄腕が上海で商売を身につけた潮州人――

謝国民は自らを振り返って、企業家としては21歳から25歳の頃が最も重要であり、この時代になにを身につけるかが将来を占うカギだと、説いている。あるいは20代前半の謝国民の働き振りを見て、父親は自らの後継者を長男ではなく末っ子の謝国民に委ねた。やはり父親としては末っ子に商売人としての才能を認め、潮州商人として一本立ちさせようと願ったのではないか。

「あなたが後継者になった際、兄弟からの不満は出ませんでしたか」と司会者から問われると、謝国民は「同意してはいなかっただろうが、兄さんたちは聡明であり、末弟を信頼してくれた」と語った後、「スムースな経営を維持するために、常に『帰功于四兄弟』を心掛けている」とした。儲けを独占せず兄弟4人で平等に分かち合うということだろうが、見方を換えれば札束で不満の口を強引に塞いでしまう、とも受け取れる。

事業規模が巨大化したとはいえ、CP(正大)集団は基本的には家族経営である。そこで当初は集団の財務は長男の嫁が担当していた。だが謝国民は「家族公司」から「社会公司」への改革を進めるために兄嫁を財務担当から外し、他から専門家を招聘したと語る。こうして数十年に亘って慣れ親しんできた家族経営方式を改めた、というのだ。

さらに司会者が「帰功于四兄弟」について質すと、謝国民は「兄弟間で多少の意見の違いはあっても、最終的には一致するもの」「経営の最大の目的は家業を倒産させないことであり、CP(正大)集団の安定と発展こそが経営の最大の目的である」と応じた。

司会者が「対外開放された後の中国でも多くの企業は家族経営の色彩が濃厚であり、同時に少なからざる企業が第二世代への交代の時期に入っているが」と、家族経営体制における大企業の経営者の世代交代について尋ねると、謝国民は古くから言われている「富不過三代」――初代が築いた財産・事業も三代目になる頃には跡形もなくなってしまう――を挙げて説明してみせた。

 「『富不過三代』は、中国の文化、家族関係における長男相続が原因している。兄弟間で長男が企業経営に優れているという保証はどこにもない。能力のない長男に譲ったら、事業の先は見えている。ヨーロッパで10代以上も続く老舗企業をみた時、当主は息子達の13歳から15歳頃の言動を厳しく観察し、年齢の上下に関係なく、経営の才能に優れた者を逸早く見出し、後継者として計画的に育成している」

 「息子さんたちは如何ですか。既に後継を申し渡し済みですか」と後継者問題を振り向けられると、謝国民は「まだだ」と、お茶を濁す。

謝国民率いるCP(正大)集団と中国市場の関係を語る場合、やはり注目すべきは対外開放直後の中国でみせた「風険投資(ハイリスク・ハイリターン)」振りだろう。

父親の意志を受け継ぎ、中国での事業展開を図るべく経済特区として外国企業に開かれた深圳に最初に足を踏み入れたのは、対外開放直後の1980年代初頭。その当時、「(深圳には)ホテルはなかった。宿舎ではシャワー設備もなく、水で体を洗った」と回想する。インフラは未整備以前の惨憺たる状態であり、まさに企業活動にとって環境は劣悪だった。だが、謝国民は「中国経済の将来性に賭けた」と、当時を振り返ってみせる。

「最初に誰が現れたかを、じつは誰もが覚えていてくれる。それが企業家にとっての大きな財産だ」と説く彼が誰よりも先んじて深圳に投資することで手にした「大きな財産」こそ、共産党政権から付与された「外資第一号」の“称号”だったのだ。《QED》