【知道中国 2870回】                      二五・八・初四

  ――“もう一つの中国”への旅(旅121)

内外から「最高実力者」と位置づけられた鄧小平が豪腕を揮っていた当時の「外資第一号」である。その権威に誰もがひれ伏さないわけがない。それはまるで、水戸黄門でお馴染みの助さん・格さんが掲げる葵のご紋の印籠と同じで万能の力を秘めていたはず。かくてCP(正大)集団は、社会主義市場化に突き進みつつあった中国全土で他社に先駆けた事業展開が可能となったわけである。これぞ「風険投資」の典型だろう。

 「外資第一号」の次に謝国民はイメージ戦略を手掛けた。

鄧小平が強力な指導力を発揮して改革・開放に踏み切ったとはいえ、海外に向かって固く閉じられていた中国の門戸が一挙に、しかも全面的に開け放たれたわけではない。1949年以来の毛沢東時代の固く閉じられた政治・社会環境に慣らされてしまっていた人々にとって、頭の中に詰め込まれた毛沢東思想はそう簡単には取り払えるわけがない。ましてや海外は全くの未知の世界である。タイで大成功した飼料中心の華人系大企業と声高に訴えたところで、とうぜんながらCP(正大)集団の名前など知る由もない。

かくて謝国民は中国で普及しはじめたTVに着目し、CMソングを流すことでCP(正大)集団のイメージを消費者に強く印象づけることを狙ったのだが、ここで番組に唐突に登場してきたのがジュディー・オング(翁倩玉)である。謝国民を親しげに「謝叔叔(オジサン)」呼ぶ彼女はCP(正大)集団のCMソングの歌い手であり、台湾の某TV局幹部の彼女の父親が作詞を担当している。両者は40数年来の友人だというからには、華人(漢族)の生活文化からして、彼女が謝国民を「謝叔叔」と呼んだところで不思議はない。

もちろん彼女は台湾系だが、1992年の日中国交正常化20周年記念交流祭には司会を担当するなど、香港出身のアグネス・チャン(陳美齢)とは違った形で日中関係に関わってきた。いわばCP(正大)集団のCMソングは、華人企業家を軸に中国=台湾=日本を結んだネットワークが土台となって生まれたと見なすこともでる。なんとも奇妙な人脈が、しかも絶妙のタイミングで動き出す。まさに日本人が想像し難い魑魅魍魎の世界だろう。

 1997年のアジア危機を例に、司会者が経営危機への対処法を問うと、アジア危機の際の自らの経営判断を例に、謝国民は経営者としての対応振りを語っている。

 

  1. どの部門を守り、どの部門を切り捨てるか即断する必要がある。その場合、(1)企業イメージの保持、(2)企業の社会的責任、(3)従業員の企業への信頼度――を基準とすべきだ。
  1. 企業の信用、イメージ、品牌(ブランド)を守ることができたら、長期的にみて営業成績の回復は可能である。
  1. “農業から食品まで“で形容されるCP(正大)集団の基本に立ち返る。
  1. 将来における企業集団の全体像を考え、収益の上がっている部門でも切り捨てることがあるし、収益の上がっていない部門でも敢えて集中投資する必要がある。

CP(正大)集団は中国市場の将来性の可能性を基礎に、(1)好調だったタイにおける流通部門(蓮花=Tesco Lotusチェーン)を売却し、(2)中国における蓮花=Tesco Lotusチェーンに注力した。

  1. 金融危機、経営危機において負債を返済することはさほど困難なことではない。如何なる環境下でも企業を発展させなければならないことこそが、最も困難なのだ。

――ほぼ1時間に及ぶTV番組のなかで最も興味深い一言は、やはり謝国民が口にした「我們中国人很聡明(我ら中国人はとても聡明)」だろう。CCTV視聴者に対するリップサービスといった側面は否めないが、華人として振る舞えばこそ、やはり謝国民も心のどこかで「我們中国人」と意識し、であればこそ「很聡明」と続くに違いない。《QED》