――“もう一つの中国”への旅(旅104)
これではラチがあかない。そこで話題を転じ、ヤワラートの馴染みの書店で手に入れておいた鄭午楼の著作の中の儒教にかんする見解について尋ねると、「ウイスキー戦争」とは打って変わって“立て板に水”である。「儒家の学説が人生に能動的に作用することで個人の修養に大いに寄与する一方、社会に向かっては平和と民族の融和と統一をもたらす」などと、「我こそ正真正銘の儒商なり」といった風情を見せつけてくれたものだ。
自らの後ろ盾である陸軍大将を前にしての過剰なまでに慇懃な振る舞いといい、異国の若者の非礼極まる質問に対する丁寧な対応ぶりといい、彼の五体から滲み出る雰囲気を敢えて形容するなら、やはり老獪の2文字以外には思いつきそうになかった。
ある時、職場の上司に呼ばれて指定場所に出掛けると、そこに鄭午楼が。上司に対しては満面笑みを浮かべ、腰を屈めて丁寧至極。こちらの顔を認めると「好久不見(お久しぶりです)」。「キミ、ウテンさんとは知り合いだったの」と上司。能筆で知られた上司が書法論議を口実に鄭午楼を招待したとのこと。
やがて硯と墨が用意され、鄭午楼が軽く握った筆先が少し震えながら動き、端正ながら女性を思わせるような文字が記されていった。どんな文章だったか記憶にないが、「書は人なり」の格言に照らすなら、記された文字が描き出す人間像は、数十年に亘ってタイ華人社会の頂点に君臨し続けた豪腕で冷血な政商の世評とは違っているように思えた。
枯れ枝のように細い皺くちゃな爺さんの、いったい、どこにタイの政財界や国軍を手玉に取り、最高権威として華人社会を統御するだけエネルギーが内蔵されていたのか。その辺りのヒミツを解き明かすこともまた“もう一つの中国”を解剖する手立てかもしれない。
ここで話を蒸し返すようだが、家族制度と家族企業について改めて考えてみた。
家族が一体化して企業経営に当たることはもちろんだが、究極的に経営意志を決定する権限を持つ家長は、企業の利害得失に関する合理的判断――有り体にいえば儲かるか、儲からないか――を下すことになる。家長の判断に家族内で異論が生まれた場合、おそらく母親は企業経営の観点からではなく、往々にして家族内の好悪やチョットした感情の縺れに基づく情緒的判断に力点を起くだろう。経営規模の大小に関係なく、家族制度という大枠でタガの嵌った華人企業興亡の歴史を振り返るなら、企業経営に関する合理的判断より、家族制度維持を目的とする情緒的判断が優先されてきたことは否めそうにない。
企業経営にかかわる合理的判断と血によって結ばれた家族内の融和を目指す情緒的判断を比較するなら、前者が後者を押さえ込むのか。後者が前者を圧倒するのか。おそらく両者の間に双贏(ウイン・ウイン)関係が成り立つのが理想だろうが、往々にして両者は対立する運命にある。経営に関する家族内の諍いを収めるのは、やはりオッカサンしかいな。となると家族制度の主宰者は、やはりオッカサンに行き着くことになるはずだ。
家族の団結を前提とすることで成り立つ家族経営は、その一方で家族であるがゆえの脆弱性を秘めている。家族経営を成り立たせる最大の長所は、その一方で経営の脚を引っ張る最大の短所となる。家族経営というヤツは、外なる敵に向かっては滅法強そうだが、家族内部の利害と感情の相克を前にしては脆いような。情理ということばがあるが、家族経営では企業経営の「理」が肉親の「情」を押さえ込むことは難しいように思えるのだが。
鄭午楼から郭鶴年、そして再び鄭午楼に戻ったところで、1940年代後半から1980年代後半にかけてタイ政財界に大きな影響力を保持する一方、東南アジア華人企業家間に隠然たる存在感を発揮し続けた陳弼臣(チン・ソポンパーニット)に関し、人生行路と一族の振る舞いと現在に至る姿を捉えておくことも、また“もう一つの中国”を解き明かすうえで参考になろうかと考えたが、その前に些かバカバカしい生き抜きを・・・。《QED》