――“もう一つの中国”への旅(旅79)
中国式の巨大な棺を乗せたトラックが店先を出発する時間が近づくと、近隣はもとより遠方からも薬だけでなく、生活面でも世話になった多くの客が集まり、店の前の歩道から車道にまで溢れた。
彼らの視線に送られ、トラックを先頭に、遺族が乗った車、それに有縁の参列者を乗せた何台かのバスと続く車列は、バンコクから北に80キロほど離れ、軍都で知られたサラブリに向かった。
じつはこの地に置かれたタイ陸軍主力の精鋭機甲師団の動向が、タイで常態化しているクーデターの成否を左右してきた。サラブリの基地から戦車の隊列がバンコクに向かって南下しはじめたら、クーデター劇の幕が開く。戦車が一気にスピードをあげてバンコクに突入し、首相府、国会議事堂など国政上の主要機関の前に展開したなら、クーデターは成功したも同じ。隊列のスピードがガクンと落ちたら成否不明で、Uターンして元来た道を引き返すようなことがあったら、もちろんクーデターは頓挫ということになる。
これがタイのクーデターの実態に近く、であればこそクーデター時の精鋭機甲師団のバンコクへの進発は軍事行動というよりも政治行動に近いのである。いや政治そのものといえるかもしれない。もっともタイ国軍は主要な任務として国土防衛を担っていることはもちろんだが、それ以上に重点が置かれているのが国家経営ということになる。
ここで誤解を恐れずに指摘するなら、タイのクーデターは国軍が自らが持つ軍事力を超法規的に発動させて政権を“強奪”する行為としてではなく、むしろ所謂「政治過程」に組み込まれた政治行為と見なすべきだろう。いいかえるなら、タイではクーデターもまた政治の一環として捉えられるわけだ。だからタイのクーデターが発生するや教科書で解説される「民主主義」に照らして論じたり、内外メディアが“青筋”を立てて批判・糾弾してみせたところで、まさにナンセンスの極みとしかいいようはない。
王室(主に国王)を巻き込んだ、いやある意味では主体的に立ち回ることで動くことになるタイのクーデターのメカニズム(カラクリ)――それが最終的には歴代憲法が国是として掲げる「国王を元首とする民主主義制度」を護ることにつながるわけだが――に関し、「タイの民主主義」と「民主主義」の違いなどを詳細に論じたいところだが、それは別の機会に譲るとして、いまは廖さんの死の形の先を急ぎたい。
棺はサラブリの寺院本堂の最上位に安置され、参列者の外周は直系2ミリほどの撚りの掛かった白い綿の糸に囲まれ、糸の両端はご本尊の手に結ばれ得ていた。遺族の1人から、この糸の内側が死者を弔う清浄な聖なる空間であり、外側は俗の世界となる、と聞かされた記憶が残る。ならば木綿の白い撚り糸が結界となり、聖と俗の世界を限っていると考えられるのだが。
葬儀が終わるや白い綿糸は50㎝ほどの長さに切り分けられ、1本1本を受け取った参列者は死者に対する哀悼の意を表すために、それを手首に結ぶ。そのまま1週間ほど手首に結わえたままでいた記憶があるが、はて中国仏教式なのか、はたまたタイ仏教の教えに因るものなのか。残念ながら聞き漏らしてしまった。
長い読経が終わると、本堂から運び出された棺は墓地に向かう。
周囲が10mほど、高さが3m程に盛り上げられた楕円形の土饅頭の頂上に深さ2m程に掘られた墓穴に下ろされた棺の上には、遺族や参列者の手で土塊が掛けられ埋葬が進む。墓碑は土饅頭の前面に据え付けられていた。
これで葬儀は滞りなく終了とはいかない。何年かの後に掘り起こして葬り直す「二次葬」が待ち構えていた。“奇跡”と呼ぶほかのない現象を目にするのであった。《QED》