【知道中国 2802回】 二五・二・念七
――“もう一つの中国”への旅(旅54)
天安門広場に集まった若者の振る舞いは、当初の平和的請願行為のレベルを遥かに飛び越えてしまった。共産党指導部の我慢にも限界がある。その限界を超えた若者の「狂妄」もまた戒厳部隊投入の引き金となった。混乱の責任を負うべきは保守派ではなく、むしろ若者であり、若者をそそのかしたアメリカにあり――こう『新中原報』は訴えた。
まさか『新中原報』の影響を受けたからとも思えないが、保守派による力を背景とした強圧的な秩序回復の動きが北京のみならず全国的な広がりをみせはじめるや、『星暹日報』『中華日報』もまた当初の姿勢を転じる。保守派へのあからさまな批判、あるいは難詰口調の論説は影を潜め、若者支持を掲げた論調も見られなくなった。その代わりに保守派が打ちだした力による強圧的な秩序維持策を前向きに捉えはじめるのであった。
こうして華字紙から若者支持の論調が消えていく流れに勢いを得たかのようにして、『新中原報』が若者批判を緩めることはなかった。
この辺りで、天安門事件に対する同紙の総括を示しておきたい。それというのも、中国における政治的事件・変動に対する華字紙の論調に、漢族の末裔として中国(ルーツ)への関心を捨て去ることのできない“善良”な華人の考え――現に在る中国(中華人民共和国)に対する視線や感情的な揺らぎ――が反映されている、と考えるからである。
「解放後の中国では、一定の時間が経過すると指導者層のなかに必ずや『反革命』分子が出現する。反革命の後、また一定の時間が過ぎると『平反(処分見直・名誉回復)』が行なわれる。なぜ、こういうことが繰り返すのか。『権力闘争』が止められないのは、中国人は永遠に団結することができないし、派閥を好むからなのか――多くの華人と同じように、こういった疑問を持たざるをえない。
当初の平和的請願が流血の惨事にまで行き着いてしまった結果、損失を被ったのは他でもない中国人そのものであり、我われタイ華人は中国人と生まれたそのことを誇りとするが、今回の事件によって、その『名誉』は大いに傷つかられてしまった。我われが得たのは心の痛手だった。
ここ数年、中国大陸と台湾は各方面で発展をみせ、輝かしい成果を挙げている。それはまた華人という血統につながるすべての者にも栄光をもたらした。〔中略〕我われ華人の誰もが目にしたいと強く望むのは団結し、安定し、繁栄に向かう中国であり、これこそが炎黄子孫の心の声であるべきだ」(『新中原報』6月23日)
ここに示された「炎黄子孫」は、「龍的伝人」と同じように対外開放後、台湾・香港・マカオ・東南アジアを含む全世界の漢族(系)住民に“一体感”を醸成する目的で使われ始めた言葉である。我われの体内には同じ漢族の祖である炎帝・黄帝の血が流れている。我われは共に龍(中国)の「伝人(申し子)」だ。我われは《自己人(なかま)》なのだ、というわけだ。
どうやら『新中原報』に拠れば、「炎黄子孫」は「中国人として生まれたそのことを誇りとする」。だが北京で建国以来、性懲りもなく繰り返されてきた権力闘争によって「炎黄子孫」は「『名誉』を傷つけ大いに傷つかられてしまった」。かくて「我われが得たのは心の痛手だった」。これを敷衍するなら、建国以来の北京の動向に「炎黄子孫」は落胆し不信を募らせるしかなかった。最近の「中国大陸と台湾」の動きには「我われ華人の誰もが目にしたいと強く望む」ところの「団結し、安定し、繁栄に向かう中国」を期待させるものがあった。だが、今回の若者の度を見境なく、度を過ぎた行動によって、“元の木阿弥”となってしまった――となろうか。
この辺りを、タイ華字メディアの“最大公約数”と感じたのだが。《QED》