【知道中国 2801回】                      二五・二・念四

  ――“もう一つの中国”への旅(旅53)

さらに『新中原報』は「中国を衝動的に批判するな」(同紙6月8日)とまで踏み込んだばかりか、北京からバンコクに急遽戻った留学生の話を根拠にして「北京における動乱は、伝えられるほど深刻ではない」(同紙6月17日)との見解を明らかにしたのである。

『新中原報』がみせはじめた論調の変化に対し、タイ最大のタイ字紙『タイ・ラット』は「在タイ中国大使館の不満が新聞の存続に影響を与えることを恐れたゆえに、某華字紙編集長は慌てて同大使館に出向き罪を認め謝罪した」と、名指しを避けながらも揶揄気味に批判する。この指摘から、同紙に代表されるタイのメディアは『新中原報』は中国大使館を通じて共産党政権にコントロールされている、と捉えていたと判断することも可能だろう。なお、『タイ・ラット』の報道に対し、『新中原報』は特段の反応を示すことはなかった。

ここで『新中原報』の論調が転換した6月8日の北京での情勢を、改めて振り返っておく必要があるだろう。じつは、この日、鄧小平を頂点とする保守派が事態収拾に向けて強硬姿勢を前面に打ち出したことで、若者ら民主派勢力の敗走が始まっていた。

いわば保守派の勝利が決定的となったことで、『新中原報』は他紙とは一線を画し、逸早く“勝ち馬”に乗り換えた。変わり身の早さでもあり、保守派勝利の情勢に対する現実的対応だとも考えられる。

そこで情勢の推移に沿って同紙の論説を追ってみたい。やや長文になるが、敢えて引用することで、時々刻々と変化する北京の情勢への対処振りの変化――良くも悪くも無原則で臨機応変。あるいは無原則という大原則――を感じ取ってもらいたいと思うのだが。

6月10日=「この古い文明を持つ我が国における我が国民の80%は文盲と半文盲である。この事実からして、二千年来の悪風は一朝一夕に変えられるわけがない。学生は教室に、労働者は職場に戻るべきだ。〔中略〕学生が天安門に『自由の女神』像を建設したことで、当初に掲げられた『官僚主義打倒』『開放・民主・出版の自由』の旗印は『自由』『人権』に変質したし、それはアメリカのスタイルを中国に持ち込むことと同じだ。

アメリカの政治勢力と互いに連絡を取り合うなら、若者は広範な人々の支持を必ずや失うこととなる。『民主』と『人権』に絶対的定義はないばかりか、それは大国による発展途上国への内政干渉の口実となっている。耳に心地よく響くが、実際はなんの役にも立たないのである」(下線部は原文のまま)

――血気にはやる若者は中国社会先般の現状を踏まえないばかりか、彼らが持ち込もうとするアメリカ方式の「人権」や「民主」は現在の中国には馴染まない、と説いていた。

6月14日=「若者の背後でアメリカが糸を引き扇動したいたことは肯定できる。大陸の人々に海外からの放送を聞かせ、彼らを扇動する資金を提供できるのだから、大金を投じて中国の売国分子を買収し、反乱を支援することも可能だ」

――とどのつまり若者はアメリカの中国攪乱工作のために操られているに過ぎないとでも言いたげであり、なにやら『人民日報』の反米キャンペーンの一環と見紛うばかりの主張ではある。

6月22日=「民衆の要求に素直に応じた軍人に対する暴力的振る舞いは、平和的請願とは程遠い。かりにアメリカの偵察衛星が天安門における動乱の現場をカメラで捉えたなら、(アメリカの)VOA放送が中国の大乱を挑発している真実が暴露されることだろう」

6月23日=「孫は祖父を尊敬することがない。祖父が『犯人』であるかのような態度と口ぶりであり、それは毒気に満ちている。礼儀のカケラもなく、敢えて狂妄と言いたい。孫にあのように粗末に扱われて、国家の指導者が我慢していられるだろうか」《QED》