【知道中国 2800回】 二五・二・念二
――“もう一つの中国”への旅(旅52)
なぜ双方の話し合いを求めるのか。
「時代が違うのである。人民は1950、60年代の人民ではない。党もまた50年代以前の党ではない。だから現に行なわれているようなウソ、デタラメ、陰謀、ゴマカシ、デマ、脅迫、若者によるデモに反対するための官製デモ、ブッラクリストなどといった旧来の手法は、目覚めた人々の前では道化芝居に過ぎない。誰を驚かすことはできないし、党も救えない。党は自らの無能と弱々しさを満天下に曝すだけである」(『新中原報』6月10日)
さらには、若者が国家の大事に関心を抱くことは歓迎すべき現象であり、国家の指導者はそれを聞き届け参考にしてこそ、安定的で団結した国家を築くことができる、との考えも示されていた。
このような華字紙の“期待と助言”にもかかわらず、鄧小平を戴く共産党指導部からは強硬な発言が聞かれるようになる。戒厳令が発動される以上、天安門広場の軍事制圧すら予想される。極めて緊迫した情勢を前にして、華字紙は共産党政権ヘの自制を求める。
「若者の動きを武力で鎮圧するなら、『不安定で混乱した、前途のない中国』を招いてしまう。鎮圧命令の発動者は民族にとっての罪人そのものだ。ことに『舵取り』たる者は、今日の『舵』をシッカリと握り、温和な手段、理知と冷静さ、自己規制、秩序をもって問題解決に当たらなければならない。かりに極度の混乱状態を発生させた場合、指導部は現在の立場を離れ、引退すべきだ」(『中華日報』5月21日)
ところが、である。鄧小平を筆頭とする共産党指導部は戦車を先頭にして、戒厳令軍を北京の中心部に投入し、断固として党を守護する立場を内外に鮮明に打ち出した。かくて世界を震撼させた天安門事件が勃発する。
この報がバンコクに伝わった直後の6月6日、華人社会で組織されたすべての華人組織の最上位に位置する泰国中華総商会は、駐タイ中国大使館を経由し、中国政府部内の華僑・華人対策を担当する国務院僑務弁公室、中華全国帰国華僑聯合会に対し、以下の中文公開書簡を送るのであった。
「北京における武力鎮圧によって、若者や民衆に多数の死傷者が生じたことを、驚愕しつつ知った。武器を持たない素手の愛国的な若者や民衆に向けられた中国政府の今般の措置に対し、我われは限りなき哀しさと遺憾の意を表明する。中国政府が流血行動を速やかに停止することを懇願する。
10年来の辛苦によって築かれた開放政策の成果を、力を合わせて守る。それこそが繁栄を破壊から救うことだ。それこそが中国と民衆にとっての幸福なのだ」
泰国中華総商会がタイ華人社会の最高意志決定機関でもあるだけに、この書簡は天安門事件に対してタイ華人社会が示した抗議の“最大公約数”と考えられる。
一方、華字紙の論調は単刀直入だった。鄧小平、李鵬、楊尚昆の当時の保守派3首脳を犯罪者と断じ、「現在の『家長政治』制度と「地位と権力」を守るために、解放軍を「首切り人足」「屠殺先遣隊」として北京に送り込んだ」と糾弾する。
この辺りまでは論調が一致していた華字紙ではあったが、事件発生から時間を経て、北京における混乱が鄧小平ら所謂「保守派」の強圧措置によって落ち着きをみせるようになると、変調が見え始めた。その典型が6月8日に掲げられた主張である。
『中華日報』は「鄧小平の生死にかかわらず、李鵬と楊尚昆を逮捕し裁判に掛けよ」とイキリ立つが、『新中原報』は「北京における混乱は継続中であり、事態は模糊としたまま。事の是非も明確ではない。こういった状況下で、不確かな外電や香港情報だけを頼りにして、ことさらに慌てて『態度表明』をする必要はないのではないか」《QED》