【知道中国 2799回】                      二五・二・念一

  ――“もう一つの中国”への旅(旅51)

ここで、本題である天安門事件にヤットコさ戻ることとする。

とどのつまり時代や社会環境、いや政治体制、イデオロギーなんぞを遙かに超越してしまっている。「言行相反せること支那官吏より甚だしきはあるまい」という永遠の劣悪な伝統も事件の要因である、と華字紙は論難したわけだ。

ここで華字紙は、もう一つの劣悪な伝統を俎上に載せる。

「(1919年の五・四運動以来)70年が過ぎているにも関わらず、『徳先生』と『賽先生』は、やはり神州の大地には根づかなかった。(共産党政権が掲げる)『民主治国』と『科学建国』は望んでも叶わないもの。伝統文化は依然として絶大な力を発揮し、新文化の発展は重大な障害に直面してしまった。ここ数年の中国の改革は失敗したのだ」(『中華日報』5月4日)

「徳先生」とは「徳莫克西(デモクラシー)」の、「賽先生」とは「賽因斯(サイエンス)」の共に音訳であり、両者を中国に導き入れ、中国社会に植え付けることで牢固たる伝統封建社会を根こそぎ切り崩すことができると、知識人は欧米近代社会から学んだ。だが、現実的にはデモクラシーもサイエンスも、牢固とした伝統封建勢力によって木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。

つまり1989年春に天安門広場に集まった若者たちの主張――自分たちの運動を1919年春の五・四運動に擬え、「民主」と「科学」を根づかせることで、共産党の独裁体制を葬り去ることができる――を、華字紙は全面的に支持したことになる。

さらに華字紙は文革下の偏頗な教育をも論難する。

「文革の嵐が吹き荒れた10年間、中国政府の人民に対する教育は無に等しかったが、それでは開放政策後の10年間はどうなのか。人民の間に真っ当な国家観や民族観があっただろうか。この10年間、多くが汚職と腐敗とを覚え、『向銭看(しゅせんど)』になり果ててしまった」(『中華日報』6月16日)

だが華字紙は対外開放を一方的に断罪するわけではなく、「自我意識が顕著に増強」され、「思想における開放性と多元性が発生」し、「個人の幸福と発展とを重視する、進取に富んだ道徳が強調」され、「民主意識の普遍的な増強」がみられる――と前向きに捉えることを忘れてはいない。

さすがに、同じ漢族と自覚するからだろう。華字紙からは、対外開放が導いた新しい局面を前向きに捉えようとする姿勢が伺える。だが対外開放が助長してしまった負の側面には、華人としての立場から厳しい目を向けざるをえなかった。

「本当のことをいうと、ここ数年来の中国を動きに接するほどに不安ばかりが大きくなる一方だ。汚職・不正・賄賂に対する断固たる姿勢が共産党に現在の地位をもたらしたにもかかわらず、今では、それらを再現させてしまった。そのうえ、状況は悪化の一途であり、インフレは激しさを加えるばかりだ。

純真無垢な若者が、こういった現象に怒りを表すことは十分に理解できる。海外に在る我ら華人ですら、中国の現状には失望し、心を痛めるばかりだ」(『新中原報』5月24日)

この段階において華字紙は、若者らを「民主を勝ち取り、封建専政に反対する進歩勢力」と、共産党政権を「時代に取り残された朽ち果てた権力者勢力」と、そして両者の対立を「時代を画する闘争」と捉えていた。そして若者らが突きつけた政治的要求は「極めて慎ましやかなもの」と表現し、全ての「非」は共産党政権にあり、と説いた。

では、どのような段階を踏めば、混乱を招くことなく若者らの掲げた要求を実現できるのか。そこで華字紙が求めたのは、双方の代表による徹底した対話であった。《QED》