【知道中国 2792回】 二五・二・初一
――“もう一つの中国”への旅(旅44)
「昔は属国だったクセに強権を振り回すなどは、じつにフテブブテしい限りだ」などと、アンタに言われたくない、と大声を挙げたい。まさに“オマユー”の極致そのものではないか。
だが一気に時空を飛び越えて21世紀も四半世紀がすぎた現在に目を転ずれば、習近平政権が一貫して強行する対外姿勢だけではなく、長期滞在者であれ観光客であれ、我われが日常的に接し、目にする中国庶民の振る舞いからは、彼らが意識するしないに拘わらず、「昔は属国だったクセに強権を振り回すなどは、じつにフテブブテしい限りだ」といった類の“傲慢ぶり”を心中に秘めているとしか思えない言動が目立ちすぎるのである。やはり超巨大な夜郎自大国であり、圧倒的な数の夜郎自大国民と、敢えて言っておく。
そういえば、かのキッシンジャーは『キッシンジャー回想録 中国(上下)』(岩波書店、2012年)で、「文化大革命による社会崩壊の時期に成人となった中国の指導部世代にとって、この理論(「平和的台頭」と「調和の取れた世界」)が描いているのは、魅力的に見える大国への道筋だった」と記す一方で、「(「経済的台頭」に加え「軍事的台頭」が必要であるという主張は)文化大革命を未成年期に乗り越えた世代の姿勢が反映されたものなのか」と、疑問を口にしている。
この考えを敷衍するなら、中国にとっての「魅力的に見える大国への道筋」として、「文化大革命による社会崩壊の時期に成人」となった世代――江沢民や胡錦濤たち――は「平和的台頭」と「調和の取れた世界」を掲げたが、「文化大革命を未成年期に乗り越えた世代」は「経済的台頭」に加え「軍事的台頭」を追求する、となるだろう。もちろん、後者の世代の代表は習近平を措いて外には見当たらない。
文革を挟んだ世代間の違いが共産党政権の内外姿勢に反映されると見なしたキッシンジャーは「中国はついに、アヘン戦争と外国の侵略に立ち向かった世紀を乗り越え、いまや国家再生の歴史プロセスに踏み切った」とも記す。「文化大革命を未成年期に乗り越えた世代」を基盤とする習近平氏指導部がみせる強硬で横暴な内外姿勢と、そのような政権が支配する国から海外に漏れ出す観光客や合法・非合法の移住者――まさに現代中国の「老百姓(じんみん)」――の振る舞いは、たしかに「いまや国家再生の歴史プロセスに踏み切った」とのキッシンジャーの指摘が的を射抜いていることを物語る。
「昔は属国だったクセに強権を振り回すなどは、じつにフテブブテしい限りだ」との20世紀初頭の暹羅在住華僑の心情は、はたして現在の中国官民の身勝手で横柄な振る舞いに通じているのではなかろうか。
閑話休題。
もう少し、暹羅華僑の不平不満に耳を傾けたい。
――去(1905)年には徴兵令が布かれ、我われの子弟も兵隊に引っ張られるようになった。清国人の証である弁髪を切り落とされ、暹羅人の恰好をさせられてしまう。暹羅の国民でない我われに兵籍の義務を押し付けなど、断じて納得できはしない。
我われは暹羅に移り住むようになって久しい。営々と積み重ねてきた努力の結晶をうち捨て、全員挙って帰国することは至難だ。だが、だからといって手を拱いていたら、10年も経たないうちに暹羅では「華人の足跡は消え去るばかり」。血と汗によって営々と築き上げてきた財産は「中国人の所有」ではなくなってしまう。
このような状況を前に、他国の国籍に身を寄せて暹羅国の制約を受けることなく特権を享受しようとする不届き千万な輩もいれば、富豪の中には官爵を与えられ暹羅の国王に籠絡されるような恥知らずまで現われる始末である。じつに嘆かわしい限りだ。《QED》