【知道中国 2785回】                      二五・一・仲四

  ――“もう一つの中国”への旅(旅37)

 おそらく現在の習近平政権の「苛政」が共産党歴代政権に較べても度が過ぎているとも考えられるが、歴史的視点に立って判断するなら、彼ら漢族は生まれながらにして移動を繰り返してきた。いわば、どこに行こうとも、どんな環境に置かれようとも、トコトン生き、そして死んでいったという性質が浮かび上がってくるように思える。

どうやら異文化共生なんぞという考えはマヤカシでナマッチョロイ。ナマクラが過ぎる。異文化共生なんぞはクソ喰らえ、となりそうだ。となると、彼らに押し寄せられる異文化の側が彼らなりの生き方(=異文化)に対抗しようと『論語』や『孟子』を持ち出したところで、やはり屁の役にも立たないはず。それというのも圧倒的多数の市井に生きる、極く当たり前の中国の大衆の日々は儒教古典なんぞで律されているわけでもなく、ましてや現在の彼らが習近平政権の掲げるタテマエで装った杓子定規の政策に唯々諾々と従っているとも思えないからだ。やはり「上に政策あれば、下に対策あり」は、彼らを捉える際の万古不易のモノサシに違いない。

ここらで本筋であるヤワラートに戻る。

ヤワラートからも香港の東華義荘を経て故郷への運棺が行なわれていたことは記しておいたが、じつは棺の送り手である世界各地の僑団と仲介を担った東華義荘との間では正式文書の遣り取りがあった。ヤワラートに関する文書は2例だが、以前に示しておいた『東華義荘與寰球慈善網絡:档案文獻資料的印證與啓示』に収められていた。なお原文はゴテゴテと過剰なまでに荘重な文字が並ぶ古い書簡体でだが、以下に簡潔に訳しておいた。

1通は、1928(民国17)年8月13日の日付で暹京(バンコク)の広肇会館附属の別墅(きょうどうぼち)から東華義荘を管理する東華医院宛に発送されている。

「今月13日発でアメリカ籍の船舶に各姓氏先人の霊柩375基を積み込みました。輸送に関する書類と各御霊の名前を記した名簿1冊の他に、額面で1100香港ドルの広東銀行発行為替手形を郵便局経由で送りましたので、お収めください。東華義荘を発してから各御霊の故郷での葬儀までの費用を棺1基当たり2香港ドルと見込み、残額は随意にお使い願いたく。なお、別に額面600香港ドルの広東銀行発行為替手形をお送り致しますので、東華医院の東院の建設にお使い願えましたら幸いです」

これに対し、東華医院は主席名で、暹京広肇別墅宛に9月1日の日付で返信している。

「棺375基を受領致しました。早速、陸揚げの上で東華義荘に安置したところであり、ご親族の申し出を待ちます。広東銀行発行為替手形は受け取りました。お寄せ戴いた東華医院東院建設費600香港ドルの他、1100ドルはご指定の通り各御霊の葬儀費用に充て、残る150香港ドルは東華義荘からそれぞれの棺の故郷までの輸送費と致します。なお東院建設に関する貴団の尊い公徳心に対し、香港在住貧民同胞を代表し深い謝意を表します」

残る1通の日付は1934(民国23)年3月3日で、広肇会館附属の広肇公学と広肇医院総弁事処から東華医院宛となっている。

「当方の広肇墳場は3年に1回の割合で同郷先人の亡骸を故郷に送ってきました。これまでの貴院のご尽力は永遠に忘れることはできません。いよいよ運棺の時期になりましたので、今月3日に先人を納めた棺251基を送ります。暹恒豊米行発行手形を香港栄豊行経由でお送り致しますので、760香港ドルをお受け取り下さい。故郷での埋葬までの費用各1基2香港ドルとし、残余は諸雑費の他、貴院での線香代に充てて戴きたく」

いったい、いつから3年に1回の頻度での一括運棺が始まったか。詳細は不明ではあるが、それにしても毎回、ヤワラートの埠頭には数百の棺が並んだことだろう。たかが棺であっても、それだけの数だ。息を呑むほどに壮観(!?)だったに違いない。《QED》