【知道中国 2746回】                      二四・九・念七

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習412)

「英国殖民地政府ですら客家語や広東語を故意に廃絶させようとはしなかった」との陳雲の嘆きに通ずるような発言が、台湾からも聞かれる。たとえば鄭鵬生だ。1951年に台南で生まれ、台湾大学哲学系を経てアメリカに留学し、コンピューター技術を学びアメリカの関連企業で働いた後に台湾に戻り執筆活動に転じたとのことだ。多くの著書のうちから択んだ一冊『重認中国 台湾人身分問題的出路(中国再考 台湾人身分問題の出口)』(人間出版社、2018年)を読み進んでいると、こんな記述に出会すのである。

「日本が主導した近代化の後の台湾では、理路整然とした典雅な閩南語が消え去ってしまった。それゆえ耳に聞こえてくるのは、街頭の雑踏に立って啖呵売をする薬売りの口上のような軽薄な閩南語(昨今の本省籍政治家が演壇で得意とするアレだ)であり、古典からの引用をふんだんに織り込んだ含蓄深い政治論議は聞かれなくなってしまった。

150年を越える大英帝国の殖民統治下で近代化が推し進められながらも、天下国家に関わる重大事から市井のチマチマした問題に到るまで、依然として誰憚ることなく広東語が自由闊達に話されている香港と比較してみるなら、そこに2つの帝国主義による異なった殖民統治術を見出すことができる」

大陸との統一を掲げる「統派」に与する鄭鵬生であればこそ、「昨今の本省籍政治家」が李登輝、陳水扁、蔡英文などの本省人政治家を指し、彼らには本来の中国文化が醸し出す蘊蓄深い素養がないと揶揄するうえに、日本の台湾統治を「大英帝国の殖民統治」より劣ると暗に批判したい心根はサモアリナンとは思う。

だが、ここで台湾においてさえ、現在でも、いや現在だからこそ言葉と政治は微妙な緊張関係を背景に論じられてもいる事実に注目してもらいたい。そこで台湾における最近の一例を挙げておくことも、独立、統一、あるいは民主などのキーワードでは割り切れそうにない台湾政治が内包する複雑な状況を知る縁となるのではないか、と考えるのだが。

それは、台湾政府文化部(文化省)が中国大陸に近接する金門島で8月31日に開催した「2024第二回国家語言発展会議《台湾台語(金門腔)論壇》」に関しての動きである。

金門県出身の立法委員(国民党所属)の陳玉珍(女)は、与党民進党中央は金門島における閩南語の発展を軽視し、金門閩南語を台湾台語(金門腔)と言い換え、恰も消えゆく言葉のように扱う、と非難する。そこで、「このような暴挙を推し進めている文化部所管の国家語言発展計画予算に対し凍結、または削減を強く要求する」、と息巻く。

閩南語は福建南部地区で通用する言葉だが、地域によって発音も語彙も違う。金門島の閩南語は金門閩南語であり、断じて台湾台語の類ではなく、ましてや台湾台語から枝分かれしたわけでもない。金門閩南語を台湾台語(金門腔)として位置づけようとする文化部の試みは不平等極まりない暴挙であり、まるで文化的ジェノサイドだ、とばかりに息巻く。

 因みに彼女が金門閩南語で文化部長を問い詰めた際、同部長は「たしかに聞いても判らない。やはり台湾台語(金門腔)とは別の系列を考える必要がある」と語った、とか。

 ここで選挙区で語り継がれてきた言葉に対する彼女の姿勢を擁護するわけでも、また民進党政権の言語政策の不当性を批判するつもりも全くないことを、敢えて記しておきたい。

 陳玉珍立法委員の発言が台湾メディアで話題になった直後の9月初頭、中共中央宣伝部人権事務局が主導し、チベット自治区党委員会宣伝部と中国外交部がチベットのラサで共催した「より効果的なチベット関連情報国際発信体系構築」を掲げた円卓会議において、「中華文化の国際発信力・影響力を高める事業に一刻の遅滞があってはならない」との理由から、「西蔵国際伝播中心(チベット国際発信センター)」の設立が打ち出されている。

 訂正:前号冒頭の「僕(もべ)」は「僕(しもべ)」の誤りでした。《QED》