【知道中国 2743回】                      二四・九・廿

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習409)

ヘリクツと身勝手、それに自己中の満漢全席にウンザリするしかないが、それにしても共産党を逃れて国境を越えた非漢族の少数民族までを「少数民族華僑・華人」と規定し(言いくるめ?)、「中国心」やら、「中華民族」などと猫なで声で囲い込もうというわけだが、これぞ共産党政権が推し進める新しい共産党式漢化策といっていいだろう。

なにやら話が堂々巡りを重ねてしまったと猛省。ここら辺りで軌道修正し、共産党政権にとっての正統歷史に就いて考えてみたいのだが、そこで思い当たるのが19世紀末から20世紀初頭、中国の年代でいうなら清末から民国初年にかけて革命家・ジャーナリスト・政治家・小説家など多彩な顔を持つ梁啓超の次の指摘である。

「古の我が中国に、国家はあっただろうか。あったのは朝廷でしかない。この地上に黄帝の子孫が存在し、同族が集い暮らしてから数千年になるが、その国の名称が何であるかと問うてみれば、やはり『ない』とするほかない。唐・虞・夏・商(殷)・周・秦・漢・魏・晋・宋・斉・梁・陳・隋・唐・宋・元・明・清と名乗ってはいるが、それらはみな朝廷の呼び名でしかないのだ。朝廷とは一家の私産であり、国は人民の公産である」(「少年中国説」『清議報』第35冊/1900年2月10日)

この梁啓超の指摘に基づいて考えるなら、「人民の公産」であるはずの「国」を、どうやら共産党政権は党の「私産」にしてしまったに違いない。党国体制という統治の形が、それを制度的に確固と位置づけてしまった。つまり本来は「公産」であるべき「国」を「私産」(或いは「党産」と言うべきか?)にしてしまったうえに、それを改めて正々堂々と「公産」と主張する。このカラクリを正当化する根拠が共産党史観――「毛沢東後」こそが本来の中国の本来の姿――となるわけだ。

ここで注目すべきは、その共産党史観の根幹である共産党の歷史の正統性と正当性を、いったい誰が、どのように判断し体現するのかと言う問題である。

またまた横道に進むことになってしまうが、ここで時計の針を3年半ほど昔に戻すことをお許し願いたい。

2021年2月20日に北京で開催された「党史学習教育動員大会」に習近平は党総書記として臨み、「まさに今こそ、党史学習教育を全党を挙げて進めるべき時であり、それは十分に必要である」と語り、この年が「2つの百年」という奮闘すべき目標が重なり合う時期であり、であればこそ「歴史問題に関する2つの重要な決議と党中央に関わる精神」を根拠に、党の歴史的発展の主流と本質を正確に把握し、党史上の重要事件、重要会議、重要人物を正確に認識し科学的に評価すべきである――と主張したのだ。

共産党の幹部による公式的発言や党機関名で発表される公式文書は、かつて毛沢東が「党八股」と批判したように回りくどいうえに「借古諷今(古を借りて今を討つ)」ような意味深な表現が多用されていることから、発言者の真意を捉えるのが容易ではなく、それだけに的確な日本語訳が見つかりそうにない。

この時の習近平発言にも同じような傾向が見られるが、この発言の狙いを敢えて推測するなら、党総書記としての「党史解釈権掌握宣言」――これを言い換えるなら2021年の両会(全国人民代表大会と全国政治協商会議)を前にした時点で発した、建党百周年を見据えての“堂々の独裁宣言”だったはずだ。

やはり建党百年と建国百年(「2つの百年」)が重なり合っている時点に照準を合わせ「正確な党史観の樹立」を訴えた意味は、決して小さいものではないはずだ。それというのも党史に関する問題は党の歴史をどう捉えるかだけではなく、どのように現実に立脚し、どのような未来を描くのかに深くかかわって来るからである。《QED》