【知道中国 2739回】                      二四・九・十

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習405)

不動産バブル崩壊にもかかわらず、7兆円規模の札束でアフリカの国々の横っ面を張り飛ばす。ますます強権化に突き進む習近平の現状を「『共産党による一党支配』から『習近平による一人支配』へと変貌した」と捉え、個人独裁が強化されるに応じて北京上層部で「忖度」と「事勿れ主義」が目立ち始めた。加えて国家戦略上の優先順位が鄧小平時代の「経済発展」とは打って変わって、現在の習近平政権下では「国家安全」へと激変した。それに伴って外交方針も、内外に向かって強盛な中国を打ち出すことを狙った「戦狼外交」に転じた――こんな解説が聞かれるようになった。

この種の考えの根底には、ひたすら西側との融和に励み経済に専心した鄧小平時代はよかった――といった思いが潜んでいるに違いない。

だが、鄧小平が「韜光養晦」の4文字を外交方針に掲げた底意を考えれば、ひたすら西側の警戒心を解き、資本と技術の支援・協力を引き出し、西側の意向に左右されない富強を目指そうとする狙いが潜んでいたはず。そう考えるなら、鄧小平の「韜光養晦」と習近平の「戦狼外交」とは異質な路線ではなく、「韜光養晦」と「戦狼外交」は共に西側に侮られない富強を目指している点では同じ。やはり表現が違うだけではないか。

もちろん、共に目指すのはアヘン戦争以来の屈辱を晴らすことであり、それこそが「中華文明の偉大なる復興」ということだろう。であればこそ、1949年10月1日、天安門楼上から全世界に向けて発せられた「これ(建国)によって我が民族は他から侮られない民族となった」との宣言に発し、「韜光養晦」を経て「戦狼外交」は一筋に結ばれていると考えるべきだ。これが共産党政権にとっての正統歷史に依拠した外交というものだろう。

振り返ってみれば、1989年の天安門事件に際してみせた“民主派”に対する冷酷果断すぎる処置に面食らい、周章狼狽し、恰も鄧小平を“忘恩の徒”とでも言いたげに激しく罵りはしなかったか。経済成長が進み国民の生活が向上すれば社会に多様な価値観が生まれ、共産党独裁に疑問が生じ、独裁の権力基盤が揺らぎ、やがて民主化が達成されるとの見立てが誤りであったと地団駄踏んで悔しがったのは、はたして西側の国々だったはずだが。

世に伝わる「羮に懲りて膾を吹く」という諺を借用するなら、毛沢東以来、共産党政権は一貫して「羮」である。「膾」であろうはずがない。おそらく次に挙げる新しい研究は共産党政権が展開する新しい漢化策であり、国際社会にとっては「羮」になるだろう。

1期目の習近平政権が発足し、内外に向けて一帯一路政策を華々しくブチ上げてから2年が過ぎた2015年、『華僑華人与西南辺疆社会穏定』(石維有・張堅 社会科学院文研出版社)が出版されている。

この本を手にして最初に注目したのは、中国政府系最大のシンクタンクである社会科学院から将来性のある新研究分野と認定されただけではなく、社会科学研究分野の国家助成を受け西南辺疆、つまり雲南・広西・四川・貴州・チベットなどを包括する地域を歴史的に見直すと同時に現状を分析し、国境を越えた東南アジア大陸部――ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムと一体化させ地政学的視点から華僑・華人という存在を総合的に捉え直そうという極めて野心的な試みだという点だった。

巻頭に置かれた「総序」は、一連の研究は胡錦濤政権の後半に当たる2008年に始まり、習近平政権発足から程なく公にされたことを記している。どうやらこの本には、共産党政権による国家プロジェクトの一環として進められた研究成果が収められているようだ。

本論を読み進むに従って驚きを隠せなかったのは、これまでの華僑・華人研究の“欠陥”として「少数民族の華僑・華人研究が冷遇されていた」という指摘だった。《QED》