【知道中国 2738回】                      二四・九・初八

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習404)

鐘祖康が「民族主義こそ、中共統治者という溺れる者が掴む最後のワラとなっている」と力説するように、やはり中華民族主義こそが「中共統治者」、つまりは共産党政権を支える最強の後ろ盾のようでもある。

だが改めて考えてみるに、はたして単一の「中華民族」が実態として存在したことがあるのか。とても、そうとは思えない。これまでも折に触れて記してきたが、「中華民族」によって構成される《中国》は悠久の歴史のなかで自然に生まれたわけではなく、人の手によって恣意的に形作られた究極の人造国家ではなかろうか。

それというのも、《中国》の歴史は司馬遷が記した史書(『史記』)の作法に則って記されてこそ「正史」とされ、それらを束ねて「二十四史」と呼ばれ《中国》の歴史として綴られてきた。『史記』から始まる「二十四史」の総体が《中国》の歴史ということになる。《中国》を支える正統思想である儒教は孔子の考えを根幹とし、そこからの逸脱は決して許されない。始皇帝こそが中央王朝権力の威令の及ぶ版図を《中国》と定めた。

そこで《中国》の外側に広がる空間は「化外の地」とされ、そこに住む蛮族は《中国》に化されることを待つ。以後、王朝権力の盛衰によって《中国》は拡大と縮小を繰り返してきた。《中国》が拡大し漢化が進めば「化外の地」が縮小し、「化外の地」が反撃をみせれば《中国》は縮小する。《中国》は中央王朝権力の強弱と深い相関関係を持ちながら、推移してきた。要するに「化外の地」の漢化の過程が《中国》の歷史でもあったわけだ。

このように考えれば、司馬遷と孔子と始皇帝の3人の発明者のうちの誰を欠いたとしても、この地上に《中国》が出現することはなかったに違いない。

版図拡大の過程で中央の王朝権力は統治(支配)の便宜上、孔子が絶体聖と定めた天を統治の根本原理として「化外の民」に強制する。言葉は理念の統一を促す。皇帝(=天子)は天の子であるがゆえに地上に現われる唯一の絶体聖の存在でなければならなかった。かくて統治の構造から老百姓(じんみん)の日常までが、儒教思想によって律せられる。

漢化とは、このような過程を指すのではないか。強引すぎることを承知で表現するなら、《中国》とは歴史と想念と領域(版図)と言葉の4つの要素によって形作られた観念の産物だろう。いわば《中国》はシステムであり、だからこそ人造国家となる。

ここで視点を換えて共産党の組織における権力の上下関係と歴史の関係を改めて考えてみると、次のように整理できるのではないか。

――共産党のトップは党の最高権力を集中的に掌握する党中央常務委員会を代表し、同委員会は党を代表し、党が国家を配下に置き、国家を構成する労農兵が歴史を象徴する。そこで唯一絶体の存在である党のトップは歴史を恣意的に書き換える特権を握る一方で、すべての責任を時に放棄し、時に自分の失敗を躊躇することなく他者に押し付ける――

 なにやら堂々巡りから抜け出られなくなってしまったが、ここら辺りで強引に結論を導き出すなら、共産党にとっての歴史は存在の根本に直結する最優先されるべき政治問題であり、自らが権力を独占することの正当性と正統性を裏付ける根拠である。であればこそ文革の過程で数限りなく出版された歴史書が、打倒すべき「毛沢東の敵」が劉少奇から林彪に、さらにように周恩来から四人組に変化しようと、一貫して共産党正統史観で貫かれていたわけだ。やはり歷史を権力の僕と見なせばこそ、統治にとって最強の道具となる。

 ここで一気に現在の中国の振る舞いに転ずるが、はたして習近平は国勢が強盛に転じていると思い込んでいるからこそ、9月初旬に北京で開催の「中非合作論壇(中国アフリカ協力フォーラム)」で7兆円規模の“資金援助”を申し入れた。習近平はアフリカを「化外の地」と見なし漢化を促し、《中国》の拡大を目指している、のだろうか。《QED》