【知道中国 2733回】                      二四・八・仲七

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習399)

 

 その点、共産党には自壊防止装置が備わっていると思えるほどに組織的に強靱だ。

ところで憲章は最終部分で、このように主張する。

 「中国は世界の大国として国連安保理の五カ国の常任理事国の一角を占め、人権理事会の構成国であり、人類の平和と人権擁護に寄与すべきだ。だが世界の大国のなかで中国のみが権威主義政治が行なわれているからこそ、人権問題とそれに起因する社会的な危機が絶えることがない。それゆえに中華民族の発展の障害となり、人類における文化の進歩の足枷となっている」

 ここから憲章が「権威主義政治」、つまり共産党独裁を「中華民族の発展の障害」だと見なしていると判断して差し支えないだろう。だから憲章に対し素朴な疑問が湧く。

 たとえば共産党独裁政権が終焉を迎えたとして、将来に、どのような「中華民族の発展」が考えられるのか。どのような在り方を「中華民族の発展」の理想型と捉えるのか。そもそも憲章が説く中華民族とは、どのような歴史的環境を生きてきたのか。

憲章が志向する中華連邦共和国は、《中国》を拒絶し独立を強く求める台湾、チベットやウイグルなどの少数民族の声に、どのように向き合うのか。中華民族が歩まざるをえなかった苦難の近現代史なるものの原因を専ら他に求めようとするなら、はたしてそれは共産党が掲げる極めて身勝手な唯我独尊的歴史認識と大して違わないのではないか。

憲章が「国民と国家に甚だしい代価を支払わせた」と糾弾して止まない反右派闘争、大躍進、文革など一連の“悲劇”を直視するならば、それらに勇躍として参加し、社会に大混乱を巻き起こし多大の犠牲をもたらしたのは、いったい誰だったのか。建国以来の惨禍の全責任を毛沢東だけに押しることは、はたして臭い物にフタと同じにはならないか。憲章は中華民族と中華思想をどのように捉えているのか。

これら疑問を解く一助にと、中華民族に関する『中國民族簡史』(呂振羽 生活・讀書・新知三聯書店 1951年)と『炎黄源流史』(何光岳 江西教育出版社 人民出版社 1992年)を手に取ってみた。ところで、この2冊を択んだ理由は、前書が歴史的・政治的に、後書が網羅的に中華民族を捉えていると考えるからである。もちろん他に多くの関連書籍があるとは思うが、いまは、この2冊に止めておく。

先ず『中國民族簡史』だが、著者の呂振羽(1900~80年)は湖南の産。我が国に留学し明治大学に学んだ後、北京の民国大学、中国大学で教鞭を執り、中華人民共和国建国後は東北人民大学などで学長を務めた。殷代は原始共産社会の末期だという通説を批判し、すでに奴隷制社会であったと主張して中国古代の社会経済史研究に一時代を築いたことで知られる――以上は無難な人名事典風の紹介である。

冒頭に初版(1948年出版)の序を掲げ、「我われは各民族の法律権利上の平等を達成するだけに止まらず、些かの瑕疵もない平等を達成してこそ、統一した人類として融合するに至る」と大上段(冗談?)に構える。だが、これでは純然たる歴史研究というより、歴史を「権力のしもべ」と化した政治的アジテーションの類と見紛うばかり。スターリンの民族主義論の焼き直しで、中国式拡大再生産版と言ったところだ。

初版出版の1948年は国共内戦の帰趨が事実上決定し、共産党政権の成立が近い将来の事実となりつつあり、世界の社会主義陣営においてスターリンは絶対無謬の“偉大なる指導者”だった。そこで序は「民族問題に関するレーニン・スターリンの学説を援用して、我われの現実的で具体的な情況、現実的闘争の任務と結合させることこそが、我われの行動の指針である。毛沢東主席の民族問題に対する考えとは、つまり中国の具体的情況、具体的闘争任務とレーニン・スターリン学説を結合させることだ」と結ばれる。《QED》