【知道中国 2727回】 二四・八・初一
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習393)
「専より紅」は否定され、世の中は「紅より専」の時代へ。まさに驚天動地。天と地が入れ替わったような価値観の大逆転である。いくら毛沢東思想を絶対的に信奉し、『毛主席語録』が教えるままの日々を“真っ正直”に送ったところで、メシが食えるわけではない。加えて国は貧しく弱くなるばかりだ。人々の腹を満たし、国を富強に導くためには専門の知識なり技術なり方法を身につけることこそが最優先だ――鄧小平が掲げた対外開放路線の哲学というものだろう。
これを中国古来の統治の理想とする「修身斉家治国平天下」で喩えるなら、毛沢東は「紅」をテコに、これとは反対に鄧小平は「専」によって、「治国平天下」を成し遂げようとしたのではなかったか。となれば毛沢東は過度の精神主義、あるいは理想主義の持ち主であり、鄧小平は徹底した現実主義者と見なすこともできるはずだ。
対外開放を機にして、建国から数十年に亘って毛沢東によって国民の頭に嵌められ、彼らの日常を厳格に規定してきた毛沢東思想という緊箍児は、鄧小平の手で解かれ、取り払われたのである。いわば、“毛沢東思想の軛”から放たれたゆえに、中国には「百花斉放・百家争鳴」とでも形容すべき世界が出現することとなった。
1980年代に現われた多種多様な主張は、おそらく政治の改革、社会の近代化(=民主化)、経済の発展を踏まえ、中国の文明化といった方向で括れるだろう。西側世界もまた経済が発展し、国民の生活が経済的に豊かさを増せば、それに伴って民意が向上し、共産党独裁に対する疑念が必ずや生じ、独裁体制は自壊に向かい、中国は民主化に向かって歩み始めることとなり、やがて普通の国家へと生まれ変わる――アメリカを先頭に西側世界は、このように確信(誤解、曲解、妄信?)してしまった。
この点に大きな誤解があるわけだが、それより深刻な問題は、西側が鄧小平を見誤っていた。いや、敢えて鄧小平の目眩ましの術中にマンマと嵌ってしまったと言っておきたい。
鄧小平の人生を振り返って考えるに、毛沢東によって党国体制の枢要な地位に引き上げられようが、共産党指導部から追い払われ片田舎の旋盤工場に逼塞させられようが、一貫して正面切って毛沢東に刃向かうことはなかったように思える。劉少奇のように毛沢東と並び立とうとしたことも、林彪のように徒党を組んで毛沢東の権力基盤に刃向かおうとしたことも、ましてや周恩来のように忠実な執事役に徹することもなかった。つまり鄧小平は、共産党の指導者の誰よりも「老獪」ではなかったか。
「老獪」の2文字を目にしたら、やはり林語堂を思い浮かべてしまう。彼は毎度おなじみの『中国=文化と思想』(講談社学術文庫 1999年)で、中国人の性格として「円熟」「忍耐」「無関心」「平和主義」「足るを知る精神」「ユーモア」「保守主義」に加え、「中国人の最も際立った性格的特徴」として「老獪」を挙げている。やや煩雑な引用になるが、林語堂の説く「老獪」の要点を記しておくと、
「老獪な人間は豊かな人生経験を経てきており、その結果、実利的で、冷淡で、進歩に対して懐疑的精神を持つようになる。その長所を言えば、老練で慎重、穏やかな性格ということになるだろう」
「中国人の知恵の結晶である老獪の最大の欠点は、理想と行動を否定する点にある。老獪は革新に対する欲望を打ち砕き、人類の一切の努力を徒労にして無益なものであると嘲笑し、中国人から理想と行動を不可能なものにするのである」
「すべての政治問題というものは要するに米櫃の問題にすぎないのであって、ほかのいかなるものでもない」
かくて林語堂は「老獪な人生観」は「冷淡で実利的な態度」を導く、とした。《QED》