【知道中国 2726回】                      二四・七・念九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習392)

 

その一例として、田中は鄧小平のこんな発言を紹介する。

「一九七四年のことだと言われる。日本の訪問団が中国を訪れた際、一行の代表西園寺公一氏が、中国側に、かつて日本が中国に加えた蛮行をわびたところ、鄧小平氏は、「中国もまた日本に迷惑をかけた。一つは『孔孟の道』を伝えたことであり、二つ目は『漢字の幣』を与えたことだ」と応じたという」(なお「幣」は「弊」の誤りだろう)

ここで日本側は「古今の教養に通じ、経験深い政治指導者」ではなかった、などとチャチを入れる積もりもないが、思いも及ばなかった発言に西園寺以下の日本側一行は驚嘆・恐懼し、鄧小平の“大きさ”にひれ伏したことは十分に想像できる。つまり“位負け”だ。

歴史を顧みるなら、「孔孟の道」と「漢字の弊害」が日本人の眩惑を誘い、結果的に日本人をして中国と中国人に対する過度の拝跪、裏返しとしての軽侮――共に見当違いで現実を見誤る――という心情を抱かしめるに至った、と考える。とは言え、いまさら鄧小平に頭を下げられてもどうなるものでもなく、やはり困惑するしかない。

改めて田中の説いた「古今の教養に通じ、経験深い政治指導者は、片時も言語問題の重さを忘れてはいない」を文革時代に強引に当てはめてみると、漢字・発音・文体・修辞などの多彩なテーマを設定し、数多の書籍を出版し続け、多様な議論を繰り返し展開していたことは紛れもない事実である。であるなら、当時の共産党中枢は「片時も言語問題の重さを忘れてはいな」かったと、敢えて見なすこともできそうだ。実際のところ「古今の教養に通じ」ていたかどうかは不明だが、当時の共産党指導部には「経験深い政治指導者」がいたと考えられないこともない。はたして買い被りだろうか。

ついでながら田中による「漢字のおそろしい力」に関する次の指摘も極めて示唆に富み、“魅力的”あり、やはり深く考えさせられる。

「(漢族社会の周辺に在って)漢字を拒否して独自の文字を発明した民族は」、「漢字のおそろしい力、漢字を使ったら最後、自らの言語が吞み込まれ、失われてしまうかもしれないということを直感的に知って」いた。そこで独自の「突厥文字、契丹文字、女真文字、西夏文字など」を生みだしたわけだが、歩一歩と浸透する「漢字のおそろしい力」によって突厥、契丹、女真、西夏などの民族は「その後姿を消してしまい、おそらくかなりの部分が、漢族の中に吸収されてしまったのであろう」。「漢字を使ったら最後、徹底的な訓読みを維持しつづけでもしないかぎり、自らの言語は消えてしまい」、やがては「民族の消失につながる」とも警告している。

田中の「漢字のおそろしい力」との指摘からは、漢字が秘めた文化侵略性とでも表現できそうな深刻な問題が飛び出してくるようにも思える。だから日本人の振る舞いに及ぼしてきた漢字の功罪などの視点から論じてみたい誘惑に駆られるが、そこに足を踏み入れてしまったら最後、そう簡単には抜け出せそうにない。加えて、その先に突き進むには、哀しいかな基礎的知識と学問的訓練が足りないだろうし、かくて、ここでは「漢字のおそろしい力」という視点を提起するに止めておく。

ここで本題に戻り、改めて共産党政権が国民の頭に嵌めた緊箍児(=歴史観×中国語)について、これまでと違った視点で考えてみたい。

1980年代に鄧小平が対外開放に踏み切るや、知識人の社会に1956年から57年にかけて展開された思想自由化を掲げた「百花斉放・百家争鳴」の再演とでも呼べるような活発な思想状況が生まれた。その背景に毛沢東思想の軛から逃れたであろう解放感と共産党独裁体制の揺らぎ、さらには党是・国是が政治(革命)から経済への大逆転――毛沢東思想で表現するなら「専より紅」から「紅より専」へ――があったと考えられる。《QED》