【知道中国 2725回】                      二四・七・念七

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習391)

 

ついでながら、日本語教育の実態をみておくことも一興だろう。

たとえば1975年出版の『日語 にほんご(全四冊)』(復旦大学日語教研組編 上海人民出版社)は、第一冊の冒頭に「外国語は人生の闘争における一種の武器である」(マルクス語録)を、次いで「教育は無産階級の政治に服務し、生産労働と結びつかなければならない」「日本人民と中国人民は共に好き友人である」(毛主席語録)を掲げる。もちろん定番の「毛主席万歳!万万歳」は、断固として欠かせない。

「第一課 仮名和発音」からはじまって「第三十課」までの全4冊を2年間でマスターするよう編集されているが、取っ掛かりの発音練習は端っから「あかはた アカハタ 赤旗 紅旗」で、しばらく進むと「どくさい ドクサイ 独裁 専政」である。

2冊目に入ると「毛主席は 中国人民の 偉大な 指導者です。毛主席は わたしたちの 救いの星です。わたしたちは ほんとうに 幸せです。〔中略〕わたしたちは 声高らかに 叫びます。偉大な 指導者 毛主席 万歳! 万万歳!」(「第九課 毛主席万歳」)など、グッと難しくなる。まさに「毛主席 万歳!」がテンコモリだ。

4冊目では思想的にも難しさが増す。練習問題をみても、「いま全国□繰り広げられている批林批孔運動は修正主義□反対し、修正主義□防止するうえ□、深遠な意義□もっている」「古参労働者たち□深い階級的憎しみ□燃えて、孔孟□封建的礼教□きびしい批判□加えた」(□に助詞を入れ、全文を中国語訳)とか、あるいは「われわれは青年をマルクス・レーニン主義、毛沢東思想で教育し、断固として労働者、農民と結びつく道を歩むようはげまさなければならない」「社会主義制度を樹立、強化し、発展させるには全国人民を団結させ、プロレタリア階級独裁のもとでの継続革命を長期にわたって堅持しなければならない」とか。外国語学習であれ、共産党の思想から離れることはない。

つまり『日語 にほんご(全四冊)』学習者にとって、日本語の学習は「あかはた アカハタ 赤旗 紅旗」から「プロレタリア階級独裁のもとでの継続革命」までの革命思想の学習そのものであり、日本語の進度は即思想学習の深度に直結するカラクリである。

 ここで参考までに、中国における言語の意味合いについて2人の発言を記して起きたい。

 1人はカントと同時代人で東プロイセンに生まれた思想家であるヨハン・ゴットフリート・ヘルダ-(1744~1803年)で、浩瀚な『人類歴史哲学考(全五冊)』(岩波文庫 2024年)の中で、「中国人の言語」に関し、次のような見解を述べている。

 「中国人の言語についてすべての報告が一致して語るのは、この言語が彼らをその自然に反した思考様式へと形成するに言い尽くせないほど大きく寄与したということである。〔中略〕中国人の言語は道徳、つまり礼儀と立派な作法の辞書であり、そこでは地方や都市だけでなく身分や書物までが区別されている」

残る1人の周恩来は1958年、毛沢東の「全ての幹部は普通話(共通語)を学べ」との大号令を承けて、「我が国の漢族人民において普通話を広く普及させることは『一つの重要な政治任務だ』」と語っている。やはり共産党政権にとって言語教育は歴史教育と並ぶ「重要な政治任務」だったことになる。

 ヘルダーと周恩来の2人。生きた時代も置かれた立場も拠って立つ環境も全く異なってはいるが、中国社会における言語の働き――中国人の振る舞いを規定する基本ソフト――に関しては不思議に似通った考えの持ち主と言ってもよさそうだ。

言語問題と政治の関係については、第1693回で取り上げておいた田中克彦『言語学者が語る漢字文明論』にみられる「古今の教養に通じ、経験深い政治指導者は、片時も言語問題の重さを忘れてはいない」との発言も、じつに考えさせられる指摘である。《QED》