【知道中国 2723回】                      二四・七・念三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習389)

 

『看図識字』は、絵を見ながら漢字と発音を覚えさせようという意図で編集されている。それゆえに最初から最後まで共産党政権が未来の中国の担い手である幼児の「真っ白な脳髄」に、いったい、なにを刷り込もうとしているのか。自ずから浮かび上がってくる。

先ず表紙だが、顔を正面に向け斜に身構える愛くるしい女の子が右手の人差し指で左手に持つ絵の中の翩翻と翻る五星紅旗を指差す。この表紙がすべてを語っている。これこそが可視化された“愛党・愛国の構図”そのものだろう。

表紙を開くと、最初の絵は青空を背景に大きく描かれた国旗。その上に「guo qi」とローマ字表記の発音が振られている。次は当然のように天安門でなければならない。

頁を繰ると、見開き2頁に左から溶鉱炉の火花を背にした工人(労働者)、天秤棒を肩にした農民、銃を抱く解放軍兵士、銃を肩にした民兵(女性)、マイクを手に交通整理をする人民警察(女性)、麦藁帽子を背にして農村を行く赤脚医生(はだしの医者/女性)、『毛主席語録』を大事そうに胸に抱える紅衛兵(女性)、槍を手に胸を張る紅小兵。工人から紅小兵まで、誰の左胸にも毛沢東バッチが燦然と耀く。

ここに描かれている人物が、共産党にとっての理想的な国民像であったはず。これらの人々の手で社会主義社会が建設されている。ここに胸を張って並んだ大人たちこそ、キミたちが目指すべき理想の人間像だ――このような思想を、この見開き2頁から学び取らせようとしているに違いない。

ところで描かれている男女の数は同じだが、偶然とも思えない。むしろ「天の半分は女性が支えている」という毛沢東の考えを幼い脳髄に刷り込もうという巧妙な仕掛けとも思える。さて、思い過ごしか。

次の頁からは、一人っ子政策など考えられもしなかった、いや考えることが許されなかった時代の家庭像が浮かび上がる。

こざっぱりとした人民服で手にした『人民日報』に目を落とす爺爺(おじいさん)、やさしそうな眼差しで針と糸を手に繕い物をする奶奶(おばあさん)、短く刈り込んだ頭で新聞に見入る爸爸(おとうさん)、活動的な髪型で優しそうな目の媽媽(おかあさん)、収穫物の入った籠を背に家の手伝いに励む哥哥(にいさん)、2本のおさげも可愛らしい姐姐(ねえさん)、毬を抱くプクプクと太った弟弟(おとうと)、女の子の人形を大事そうに抱える妹妹(いもうと)―― 

毛沢東バッチを胸に三世代が和やかに革命的に助け合って暮らす。これこそが共産党政権が国民に求めた理想的な家庭の姿であり、敢えて中国式に表現してみるなら共産党御用達の“革命的三世同堂”になるだろう。

であればこそ、「人が1人増えれば口は1つ増えるが手は2本増える」と人口増は生産を確実に促すと妄信しきっていた毛沢東の考えに従うなら、一人っ子政策などは、まさに反革命的大罪となるわけだ。

続く2頁は乗り物で、最初の頁は子ども日々の生活で慣れ親しむ卡車(トラック)、轎車(乗用車)、火車(汽車)、電車、救護車(救急車)、自行車(自転車)、消防車、輪船(汽船)など。その次の頁は男の子なら目を耀かせるに違いないミグ戦闘機をライセンス生産したと思われるジェット戦闘機、軍艦、大砲、坦克(タンク=戦車)、手榴弾、地雷、大刀(青龍刀)、歩銃(ライフル)など。解放軍最新兵器が並んでいる。

次の頁は槍を肩に分列行進の訓練をする軍服を着た紅小兵の集団が描かれた軍訓(軍事訓練)、スイミング・キャップの女の子のクロール姿の游泳(水泳)、三つ編みの女の子がイチ、ニッ、サンと体を動かす做操(体操)など子供の遊びとなる。《QED》