【知道中国 2720回】 二四・七・仲七
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習386)
歴史爺さんは原始共産社会の姿を描き出した後、社会に生まれた搾取と被搾取の関係に話を進める。
やがて人々の営々たる努力で生産が消費を上回るようになると「奴隷所有者、大地主、大資本家のような労働をしない不埒なヤカラが生まれてくるようになってナ」、「汗を流そうとせずに、頭を使って土地や工場を力で押さえ労働の果実を奪い取ったんじゃ」。そこで「陳渉、張角、王薄、黄巣、李自成などが次々に決起して、人民の血を吸うヤカラに対し必死の覚悟で立ち向かっていったんだ」と、「労働をしない不埒なヤカラ」「人民の血を吸うヤカラ」への憎悪を駆り立てる。
かくて歴史を動かすのは働く者であり、労働者こそが歴史の主人公だと、幼く柔らかな脳ミソに一気に刷り込んで行くのであった。
中国の広大な土地の「どこにだって革命烈士の尊い血が流れている」。この豊かな祖国に多くの外敵が侵入してきたが、「我われの祖先は一致団結し命を盾に祖国の独立を護り抜いた」。「現代では八路軍、新四軍、中国人民解放軍、中国人民志願軍などが生まれた。彼らは祖国の優秀な子どもたちなんじゃ。中国の広大な領土は隅から隅まで祖国を護ろうとした英雄の鮮血で染められていることを、ヨ~く考えてごらん」と、熱く語り掛ける。
「歴史爺さん」は、「将来の人民は共産主義の生活を送る。誰がなんといおうと、これは絶対に間違いない。共産主義社会の生活というのは楽しいもんじゃよ」と子どもたちを煽った後、共産主義社会実現のための方法を教え込み、いよいよ強烈な思想教育が始まる。
以後、中国の歴史は一貫して搾取階級と被搾取階級の激しい対立図式で説かれ、近代に入るや欧米帝国主義列強が加わり、結果として中国は半殖民地半封建の悲惨な状況に陥り、人々は筆舌尽し難い困苦を強いられることになる。
だが、やがて「神州大地(ちゅうごく)の東方の空が曙に染まり、一筋の真紅の光が射し込め四方の空を鮮やかに染めあげる。我らが偉大な領袖であり導師である毛沢東同志は、中国における旧民主主義革命がプロレタリア階級の導く新民主主義革命へと向かう分岐点にあって中国と世界を改造し、中国と世界の人民に共通する利益を図るために壮大な信念を抱き時代の最前線に立ち、マルクス・レーニン主義を創造的に用いて中国革命の具体的情況に結びつけ、中国共産党を創建し、歴史の前進的発展を指導し、中国人民を勝利から勝利へと導いた」(『近代中国史話』第2698、99回/習364、65)のであった。
このような歴史観に裏打ちされた共産党作成の“欽定歴史教科書”には、厳密な意味でも古代、中世、近世、近代、そして現代と区切るような発想がなされるわけがないだろう。
やや戯画化して表現するなら、長い歴史は毛沢東を境にして「B.M.(before Mao)」と「A.M.(after Mao)」に二分されることになろうか。まさに共産党版欽定歴史教科書は政治と表裏一体、いや政治そのものといって過言ではないはずだ。
ここで屋上屋を重ねるようだが、前掲『レーニンの墓』(第2717回/二四・七・仲一)に記されているソ連における歴史教育に関する記述のいくつかを拾ってみると、
●(ソ連の生徒は)幼年時代から「ソビエト人」となるよう訓練されていた。これは政策の本質であり、スターリン死後もほとんど変らなかった。
●ソビエト連邦共産党は「新しい人間」の創造は共産主義建設の事業総体の中で最も重要だという前提から出発し、これまでも常にそうであった。(フルシチョフ追放陰謀の首謀者の1人で、フルシチョフ後の長期政権を担ったブレジネフのイデオローグだったミハイル・スースロフの発言とされる)
●権力を固めたスターリンは歴史に対する絶対的な支配権を手にした。《QED》