【知道中国 2718回】                      二四・七・仲三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習384)

 

林語堂に韓瑞穂を重ね合わせてみると、否応なく頭に浮かぶのは「共産党幹部文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』の活用である」ではないか。

「共産党幹部文法における最も一般的な動詞活用は」、やはり「動詞『賄賂を取る』の活用である。すなわち、『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」となる仕組みだが、たしかにナットクしたくもなる。

ところで、モノはついでと言うから、これまでも引用してはいるが、共産党による政治を考えるうえで参考になりそうな個所を拾っておくと、

先ずは「民族としての中国人の偉大な点」について、林語堂は次のように詳細に説いた。

「民族としての中国人の偉大な点は、勧善懲悪の基本原則に基づき至高の法典を制定する力量を持つと同時に、自己の制定した法律や法廷を信じぬこともできるところにあろう。法律に訴える必要のあるもめごとの九五パーセントは法廷外で解決している」

「中国人の偉大さはまた、煩雑な礼節を制定する力量があると同時に、これを人生の一大ジョークと見なすこともできるのである。葬儀の時、大いに飲み食いし、銅鑼や太鼓を賑やかに打ち鳴らすのは、このことを証明するものであろう」

「さらに中国人の偉大さは、罪悪を糾弾する力量があると同時に、罪悪に対していささかも心を動かさず、何とも思わぬことすらできる」

「また、一連の革命運動を起こす力量があると同時に、妥協精神に富み、以前反対していた体制に逆戻りすることもできる。官吏に対する弾劾制度、行政管理制度、交通規則、図書閲覧既定など細則までよく完備した制度を作る力量があると同時に、一切の規則、条例、制度を破壊し、あるいは無視し、ごまかし、弄び、操ることもできるのである」

ここに現われた「中国人の偉大さ」を一言で表現するなら、やはり究極の人治であり、権力の意のままのナンデモアリと言い換えてもよさそうだ。

もう一個所。共産主義政権の将来について、「たとえ共産主義政権が支配するような大激変が起ころうとも、社会的、没個性、厳格といった外観を持つ共産主義が古い伝統を打ち砕くというよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし共産主義と見分けがつかぬほどまでに変質させてしまうことであろう。そうなることは間違いない」と、1935年のニューヨークで予言している。

国民党の執拗な追撃を振り切って、ボロを纏った疲労困憊の3000人余の匪賊一歩手前の集団と化した毛沢東ら共産党が、内陸部の辺鄙な山中の街・延安に命からがら辿り着いたのが1935年であり、その翌年の1936年12月に起きた西安事件をキッカケに国民党との合作を導きだし、国共両党が共同して抗日へと舵が切った。これを好機と共産党は一息つき、勢力挽回へと転じる。盧溝橋事件勃発は、その翌年の1937年7月である。

 それにしても林語堂の“慧眼”には恐れ入るばかりだが、この辺で本題に戻りたい。

まさか鄧小平が、終末期のソ連共産党タイプの「人類史上、最凶・最大のマフィア」を目指し共産党の権力基盤の再構築を目指したとは思えない。「共産党幹部文法」に沿って究極の人治を弄びながら、数え切れないほどの犠牲の上に築き上げた社会主義中国を「個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統」に立ち返らせようと狙ったはずもなかろうに。

最近の動向から入党動機を推測するに、革命やら人類の解放やらの理想の実現を求めるよりは、やはり強固な党国体制が発揮する既存の権威に忠誠を誓うことによって出世の階段の足掛かりを求め、権力と特権を手にするためだと思われる。だが、だとしても“就職活動支援”のため、鄧小平は党基盤再構築を目指したわけでもないだろう。《QED》