【知道中国 2717回】                      二四・七・仲一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習383)

 

いわば党の絶対的権威を前面に押し出すことで、国民に党国体制下での規律と団結を強く要求したのである。このような鄧小平の執政姿勢は、むしろ「第二の建党」、あるいは「第二の建国」と呼ぶべきではないか。

では、なぜ鄧小平は、そこまでして厳格な形での党国体制の再構築を目指し、共産党独裁のための確固たる権力基盤を形作ろうとしたのか。

結果として鄧小平は、共産党が生殺与奪の権を独占する党国体制の再構築に成功したのだが、改めて考える。なぜ鄧小平はそこまで党国体制の拘るのか。はたして共産党とはどのような組織なのか、と。

最近手にした『レーニンの墓  ソ連帝国最期の日々 (上下)』(デイヴィッド・レムニック 白水社 2024年)には、ミハイル・ゴルバチョフ政権最期の日々がじつに克明に描き出されているが、そこにソ連邦の崩壊過程で「ソ連共産党は人類史上、最凶・最大のマフィアである」と秘かに囁かれるようになっていた、と記されている。

そこで思い至ったのが、韓瑞穂が『異郷 私が生き抜いた中国』(新潮社 2000年)で半ば呆れ半ば苦々しく綴った建国直後の共産党幹部の振る舞いであった。興味深く、また考えさせられる指摘でもあり、煩を厭わずに引用しておきたい。

「党、政府、軍の幹部の中に、特権を行使し公金を使って飲み食いや贅沢品を買うなどの傾向が生まれた。長期の革命闘争と戦争で多くの犠牲を払ってきた老幹部ほど、その代価を受け取るのは当然という風潮が強かった」

「たいていの人は安楽な生活を求める。特に解放によって権力を得た人々は、その権力を行使することで、それは容易に手に入った。いや、権力を行使するまでなかったと言うべきかもしれない。この長い文明を持つ国では、権力を握っただけで、おのずと手に入る特権があった。歴代皇帝や国民党、さらにいえば外国人が残した財産のすべてを受け継いだからである。例えば、住宅がそうだった。山中にこもっていた農民ゲリラの指導者の多くが、解放と同時に豪華な住宅を与えられた。そこには立派な調度品もあった。それだけで、指導者たちは自分が偉くなったと感じるようになった。物質は人の思想を規定し、そして物質的要求には際限がない。権力を持つ人の一部は自らの生活向上のため、ほとんど無自覚に不正に染まっていった」

引用はこの辺で止めておくが、著者は1922年に東京生に生まれた日本人で、結婚前の名前は平山瑞子。1943年に留学生の韓向辰と結婚し中国国籍取得。夫の帰国に伴って1944年に北京へ。じつは韓家は共産党の秘密拠点の1つだった。以後、八路軍で医師を務め全国各地を転戦。一家は文革に翻弄された後、1979年の名誉回復を機に国際関係学院に移り日本文学教授となる。

彼女の長い党員活動に基づいた記述から浮かんでくる「権力を持つ人」と「不正」の関係を考えると、これまでも何回か引用した林語堂の説く「中国語文法における最も一般的な動詞活用」を、否応なく思い出してしまう。

つまり「中国語文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』の活用である。すなわち、『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」(『MY COUNTRY AND MY PEOPLE』。邦訳は『中国=文化と思想』鋤柄治郎訳、講談社学術文庫 1999年)

訂正:前回の「厳しい産児制限によってもたらされた」は誤りでした。この部分を「“生めよ増やせよ!”の政策によってもたらされた」と訂正致します。《QED》