【知道中国 2714回】                      二四・七・初五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習380)

康生が指揮した共産党の「中央社会部の専業の審問官たちは、尋問や処罰の技術を磨き、中国数千年の伝統を二十世紀のスターリン型組織でも応用し、嘘の自白から『事実』を捏造していった」。その際に使われた数々の「拷問のテクニック」の一部を示しておくと、

「・竹刺――爪と指の間に尖った竹の切れはしを押し込む。

 ・馬鬃穿眼――馬のしっぽの毛を尿道に挿入する。

 ・穿女人――強圧をかけたホースで、水を膣に押し込む。

 ・請客人喝一杯――大量の酢を飲ませる。吐き気の後に異常な苦痛に襲われる。

・定向滑輪――両腕を吊ってぶら下げ、革の鞭で打つ。

・焚香進逼――梁に両腕をぶら下がらせておいて、脇の下に灸をすえる。もし手を下げたりすれば肉が焼けることになる。

 ・沿路拉拖――馬のしっぽに縛って繋いでおき、その者が死ぬまで馬を鞭打って笞打って走らせる。

・幇助生産――自分の墓穴を掘らせ、掘り終わったらその穴に生きたまま投げ込む。」

なんともおぞましい限りだが、これは康生を「中国共産主義の暗黒面を象徴する『悪の天才』」「現代中国の暴力の根源『抑圧と管理のシステム』――創造者」と位置づける『龍のかぎ爪(上下)』(J・バイロン/R・パック 岩波書店 2011年)から引用である。

はたして北京大学――敢えて敷衍して考えるなら中国全土――で、「政敵」を制圧・壊滅させるために、ここで取り上げたような非人道的でアコギで冷血で残虐な方法が再演されることなどなかったとは、やはり断言できそうにない。

ここまで来ると、どうしても頭に浮かんでしまうのが、すでに何回か引用した陳凱歌『私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春』(講談社現代新書 1990年)だろう。

「昔から中国では、押さえつけられた者が、正義を手にしたと思い込むと、もう頭には報復しかなかった。寛容などは考えられない。『相手が使った方法で、相手の身を治める』というのだ。そのため弾圧そのものは、子々孫々なくなりはしない。ただ相手が入れ替わるだけだ」

それにしても、毛沢東が強硬に推し進めた土地改革によって主客転倒した農村で、それまで虐げられてきた農民が地主を「坐冷磚頭」やら「黒鰱魚」などの方法を使って、恨み骨髄の意趣返し。勢いのままに嬲り殺しすることはなかっただろうか。共産党による革命教育(宣伝)に煽られるままに、「相手が使った方法で、相手の身を治める」ことが日常的に繰り広げられていたことが十分に考えられる。ならば「弾圧そのものは、子々孫々なくなりはしない」し、「ただ相手が入れ替わるだけ」との諦念にも、納得せざるをえない。

それにしても「坐冷磚頭」「黒鰱魚」「馬鬃穿眼」「沿路拉拖」「焚香進逼」などの禍々しい文字を目にすると、日中関係を同文同種・一衣帯水などと表現して悦に入っていた我が先人のオ人好し振りが哀し過ぎる。同時に、5月末の駐日大使の暴言――「日本が台湾独立に加担すれば日本の民衆が火の中に連れ込まれる」――も、外交的脅しというよりは、「正義を手にしたと思い込」んだがゆえの傲慢から滲み出たホンネとも思える。

かりにアヘン戦争を機に露呈した無様な自らを「押さえつけられた者」と見なし、対外開放以後に手にした経済力をバネして手にした軍事力を含む対外的影響力によって「正義を手にしたと思い込」んだなら、行き着く先は「もう頭には報復しかなかった。寛容などは考えられない」ということになる。だとするなら習近平政権が掲げる「中華民族の偉大な復興」は、彼らの立場に立てば「報復」の別の表現となるのだろうか。《QED》