【知道中国 2707回】                      二四・六・念一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習373)

なぜ、あの時代に、映画台本の翻訳が出版されたのか。やはり、なぜ?・・・が重なる。

――第2次大戦期、ハリウッドは戦争遂行を目的とする記録映画を大量に製作したが、それ以外にも戦争が舞台となった劇映画も少なからず制作されている。その中には、ハリウッド伝統のスパイ物語に反ファシストの“スパイス”を加え、アメリカの政策を宣伝する映画がみられた。

その種の作品の代表作ともいえる「カサブランカ」は、基本的にはありふれたスパイ物語の類型を踏まえているが、きめ細かい人物描写に優れていると評価される。映画芸術の側面からいえば、同種のストーリーを描くハリウッドの一般的な映画とは明らかに異なった特色を持っていると思える。

映画台本から、第2次大戦中のナチス占領地区での人民の抵抗運動を読み取ることができるが、それは表面的に過ぎる見方といいたい。この陰影深い映画はアメリカこそが「自由」と「民主」の楽土だということを、観客の心に刷り込んでしまう。

ナチスの迫害を逃れ、絶体絶命の危険を冒してでもカサブランカにやってくる。誰もが新天地をアメリカに求めた。アメリカのパスポートを手にすることができるかどうか。これが物語の中心テーマとなる。つまり映画「カサブランカ」の隠れた主役はアメリカのパスポートだった。

映画はお定まりの美男美女の愛情物語を描くが、そこに一種の「自己犠牲」の精神がみられる。とはいうものの、それは反ナチズム闘争における犠牲だろうか。そうではない。たんなる個人的愛情に過ぎない。

基本的には、この種の映画はスパイ映画の範疇に属するからこそ、ハリウッドが利用し尽くしてきた同じような類型の愛情物語の映画文法に則った反共映画といえるのである。このような側面からして、この映画台本は我われが研究すべきものである――

以上が、冒頭に掲げられた「編者説明」が語る「カサブランカ」の台本を「電影文学劇本」とサブタイトルを付けて翻訳・出版した理由のようだ。因みに、全編がじつに忠実に丁寧に訳されている。やや大袈裟な表現だとは思うが、『卡薩布蘭卡』の中国語訳文を声を出して読み進むと、ハンフリー・ボガードやイングリッド・バークマンの姿もさることながら、反ナチの地下活動家でもあった警察署長のコミカルな演技が浮かび上がってくるから、じつに不思議な思いに駆られてしまう。

思い起こせば「カサブランカ」は銀幕ということばが無限の輝きを放ち、スターが一般人が到底及びもつかない煌びやかな存在として迎えられるなど、映画にとって幸せに充ち溢れていた時代を代表する作品だろう。その「カサブランカ」のどこに「我われが研究すべき」「反共映画」の側面があるのか。読み進むほどに、反共映画という常套句は単なる“口実”にすぎないのではなかろうかと思えてきて仕方がない。

そこで『卡薩布蘭卡』が出版された時期を思い起こしてもらいたい。つまり10年も続いた文革時代と四人組専横時代、いや建国以来の毛沢東時代が求めた社会主義的勧善懲悪映画にアキアキしていた中国の映画人は「カサブランカ」のような愛情物語に飢えていた。その飢えを渇かすためには、「反共映画」のレッテルを貼って誤魔化すしかなかったのではないか。

「打倒美国帝国主義」の怒号が日常生活から消えかけ、毛沢東思想のタガが緩みだした時代となったからこそ、「『自由』と『民主』の楽土」への密やかな憧憬を背景に『卡薩布蘭卡』が出版されたと考えればこそ、アメリカに対する儚い翹望が行間から滲み出すのも微笑ましい限り。ヤッパリ中国人は心の底ではゼッタイに美国が大好きなんだ。《QED》