【知道中国 2706回】                      二四・六・仲九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習372)

 1978年8月出版で架蔵しているのは『詹天佑和中国鉄路』(徐啓恒・李希泌 上海人民出版社)と『尉繚子注釈』(八六九五五部隊理論組・上海師範学院古籍整理研究室注 上海古籍出版社)の2冊のみ。

 『詹天佑和中国鉄路』は清末に米エール大学で鉄道技術を学び、帰国後には各地の鉄道建設に主導的役割を果たした詹天佑(1861~1919年)の評伝である。

――「アヘン戦争の後、中国は対外閉鎖・自存自衛の封建社会から半封建半植民地の社会へと転落し、資本主義列強のための工業原料収奪と商品販売の市場へと成り果てた」。「鉄道は帝国主義列強による中国侵略のための重要な手段であり」、「それゆえ鉄道建設権を狂ったように争った」。「鉄道は帝国主義者が中国人民を奴隷扱いするための触覚となり、中国人民の血を吸い取る管となった」

このような帝国主義列強の残虐非道な犯罪行為を前に、「中国人民は喩えようもない怒りに打ち震え、数多くの愛国主義者は『中国人自らの手で鉄道建設を』と強く訴えた」

その代表が詹天佑であり、彼は帝国主義列強による鉄道建設が中国植民地化ヘの道であることを強く訴え、国家の富強を掲げ、中国人自身による鉄道建設を推し進めた。「その一生は、中国における科学技術者の愛国の熱誠と深い智慧を表している」――

以上が『詹天佑和中国鉄路』の概要だが、妄想に近い押しつけがましい毛沢東賛歌はみられず、文革時代や四人組専横時代に横行したイビツで過激で荒唐無稽な政治臭も感じられない。敢えていうなら鄧小平が推し進めた対外開放時代の基本イデオロギーとされる「実事求是(実践の中から正しい結論を求める)」の色合いが強い。

因みに『詹天佑和中国鉄路』は第二版で、初版は1957年12月――毛沢東が当時の客観的国情を無視して強引に推し進め、結果として全国民が飢餓地獄に苦しんだ大躍進政策の前夜――に出版されている。あるいは大躍進前夜、毛沢東の暴政に異を唱える声が「中国における科学技術者の愛国の熱誠と深い智慧」を求め、『詹天佑和中国鉄路』初版出版に踏み切らせたようにも思える。

これを言い換えるなら、大躍進前夜にも毛沢東思想の大きな柱である「専より紅」――専門知識・技術よりは毛沢東思想に基づく高い政治意識――を必ずしも「是」とはしない動きがみられたということだろうか。

同じ8月に『尉繚子注釈』(八六九五五部隊理論組・上海師範学院古籍整理研究室注 上海古籍出版社)が出版されている。『尉繚子』は『孫子』や『呉子』と同じように古代中国を代表する兵法書とされているが、後世に捏造された偽書との疑いが晴れることはなかった。だが1973年に山東省にある前漢時代の古墳から竹簡が発見されたことで、すでに前漢前期以前には世に伝えられていたことが明らかとなった。

『尉繚子注釈』は「秦による中国統一に一定の働きをなした」(「出版説明」)と見なす『尉繚子』の詳細な注釈であり、毛沢東、あるいは共産党による政治臭は全く感じられないだけに、あるいは毛沢東路線の大後退から鄧小平路線への転換期を象徴する出版物とも見させそうだ。

手許に残る『卡薩布蘭卡』(〔美〕艾布斯担等 中国電影出版社)は政治第一の毛沢東路線に別れを告げ、経済開発最重視の鄧小平路線へと大きく舵を切った中国共産党第11期3中全会を1ヶ月後に控えた1978年11月に出版されている。

第2次大戦期、北アフリカのカサブランカ(漢字で「卡薩布蘭卡」)における反ナチ地下活動を伏線に、陰影深く渋いハンフリー・ボガードと絶世の美女のイングリッド・バークマンがスクリーンに交錯する名作「カサブランカ」の台本の翻訳である。《QED》