【知道中国 2704回】                      二四・六・仲五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習370)

 「没興趣(興味なし)クン」にだって本名はあるが、興味の持てないこと、面白くないこと、嫌なことには一切関心を示さない。そこで、こんな渾名で呼ばれるようになった。

 算数を勉強しなければならないのに、九九を覚えるのは面倒だから嫌い。そこで「算数の勉強なんて面倒クサイ。勉強したって何の役にも立たないや。勉強しなくたって、どうってことないジャン」である。

ある時、彼は「無算術国(算数のない国)」に迷い込んでしまった。そこで「なになに、算数がない国。こりゃ好運気(ラッキー)」と秘かに歓声をあげるのだが。

 この国をブラブラと歩いていると、遠くの方から大人が言い争う声が聞こえてきた。ソッチの方に行ってみると、髭のおじさんが「昨日、お前は87個取って、俺は59個。だから、お前の方が多い」。すると背の小さい方が、「今日はアンタが81個で俺が53個だから、アンタの方が多い」。顔を真っ赤にし、口角泡を飛ばしての言い争いが延々と続いている。

やおら2人に近寄った没興趣クンは「なにを喧嘩しているの。どっちが多いかって、足し算してみればいいだけジャン」。流石に無算術国である。2人は声を揃えて、「算数ってなんだい」。落ちている枝を手に没興趣クンは地面に「髭オジサン:81個+59個=140個。小さいオジサン:53個+87個=140個」と書いて、「2日間を足し算すれば、2人とも同じだよ。喧嘩なんかバカバカしいでしょ」。すると2人は「そうだったのか。キミが来なければ明日の朝まで喧嘩を続けるところだった」と感謝するのであった。

 次いで「お~い、そこの小学生。こっちに来て助けてくれ」との声が。

声のする方へ行ってみると、デブとヤセのオジサンが2人。デブが捕った魚をヤセが受け取って桶に入れる。40匹捕ったところで桶を覗くと、泳いでいるのは32匹。そこでデブが9匹、ヤセが4匹と逃がした魚の数について言い争っている。没興趣クンは「オジサンたちって引き算を知らないの」。「なんだい、その引き算っていうやつは」。そこでまたまた地面に「40匹-32匹=8匹」と式を書き、「争うことなんてないじゃん。逃げた魚は8匹だもん」と得意顔。

 没興趣クンが操る算数の評判が評判を呼んで、次から次への争いごとの調停が持ち込まれる。「そうか。無算術国では計算ができないから、朝から晩までこうなんだナ。困ったコマッタ。こんな国にいたっていいことなんかないヤ」とばかりに、みんなが争っている隙をみて家に逃げ帰った。それから没興趣クンは算数の勉強を頑張った・・・とさ。めでたしメデタシである。

 こう読んでみると、「無算術国」からは毛沢東思想が唯一絶対の価値であった時代の中国の雰囲気が漂って来ると同時に、「没興趣クン」の振る舞いは『毛主席語録』を振り回す以外に興味を持つことがなかった紅小兵を連想させるから不思議だ。

 中国を「無算術国」のママにしておくわけにはいかない。毛沢東思想以外に興味を示さないようなイビツな「没興趣クン」を大量に産み出してはならない――文革や四人組に対する“深刻な反省”が『“没興趣”游“無算術国”』の背景にあったのではなかったか。 

 その時から半世紀余が過ぎた現在、マスコミが伝える習近平一強体制の中国は、「没興趣クン」の大量生産を目指し、「無算術国」への道を驀進しているようにも思えるのだが。

 1978年7月発行の『全国鉄路 旅客快車時刻表』(人民鉄道出版社)は、改革・開放政策決定に4ヶ月ほど先立つ1978年8月1日運行開始となった全国を走る快車(急行)列車の時刻表(全80頁)である。全国の鉄道の動きが薄っぺらな冊子に収まってしまうほどに、当時の鉄道事情は貧弱極まりなかった。それもそのはず。当時は全国で「戸口制度」が厳格に行なわれ、人々の移動は極めて制限されていたわけだから。《QED》