【知道中国 2703回】                      二四・六・仲三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習369)

冒頭に「中国社会科学院歴史研究所、中国社会科学院近代史研究所、中国歴史博物館、北京教育学院、北京師範大学歴史系、南京大学歴史系などの機関の熱烈なる賛同と支持によって書き上げられた」と記されているところからして、当時の中国歴史学界を代表する“最高の知性”による“最も権威ある見解”が詰め込まれているとみて間違いないだろう。

旧石器時代からはじまり、秦以前の中国を文化、政治、経済、思想、医薬、土木工事などの側面から懇切丁寧に判り易く解説している。

たとえば漢民族が自らの伝説上の始祖と崇める黄帝、炎帝、蚩尤については、「我われ多民族社会主義国家は、遠い昔から現在に繋がり、遥か古代に起源を持ち、我が各民族の祖先が我ら偉大なる祖国の繁栄と隆盛のために共同して努力し奮闘してきたことを説明している」と主張する。

 この主張から度し難い漢族至上主義が読み取れるが、「孔子はどのような人なのか?」の項目に到って天地顛倒・吃驚卒倒するばかり。あれほどまでに猛々しかった批林批孔や反儒尊法の大合唱にフタをして知らんプリ。孔子は「我が国春秋時代末期の儒家学派の創始者であり、著名な思想家であり教育者」と、白々しくも大絶賛。厚顔無恥の極みだ。

 『中国古代史常識 先秦部分』に拠れば、孔子は西周時代の諸制度の復活を主張しているが、「過ぎ去った西周の形式に固執しているわけではなく、一定程度は実情に応じて改めることに賛成している」。じつは彼は「我従衆(我、衆に従う)」ことを信条としており、「みんなの手法に同意している」。加えて「挙賢才(賢才を挙げよ)」と説き、国を治めるためには有能な人材を積極果敢に採用すべしと主張し、「当時の階級変化に対応しようとしている」と、前向きに捉えているのだ。

 孔子は唯心主義の観点に基づいて「克己復礼、仁を為す」と主張し、政治の根本に「仁(=他人を愛しむこと)」を置いた。「仁」が指し示す立ち居振る舞いは、残念なことに「後に歴代封建地主階級の思想家によってネジ曲げられてしまった」。「孔子の認識論上の基本観点は唯心主義先験論」だが、じつは学習という営為の根源的な重要性を強調している。「この一点こそが、後世の人々に積極的な影響を与えた」と強く訴える。

 孔子に学んだ学徒の大部分は貴族の子弟だが、平民に近い「士」の階層出身者を受け入れただけでなく、「賎人」「野人」「鄙人」などで呼ばれた低い階層や他国の学生もを受け入れることで、「奴隷主貴族階層による教育の独占状態を一定程度破った」と前向きに捉え、「教学方法からいうなら、学習と思考の結合、独立した思考と啓発に力点を置く孔子の思想は、今日なお批判的に吸収すべきものである」と、極めて高い評価を与えている。

つい数年前まで国を挙げて狂気のように展開した批林批孔・反儒尊法運動において、孔子は中国史上における極悪非道で最大・最悪・最凶の反動主義者と悪罵の限りを尽くしていたはずなのに、目を疑うばかりの大変節である。やはり絶対矛盾の自家撞着にも、身勝手気儘な中華ゴ都合主義にも極みはないようだ。

同じく6月出版の『“没興趣”游“無算術国”』(嵆鴻 少年児童出版社)を手にして改めて驚かされるのは、当時の中国社会における価値観の大転換ぶりである。

書名となった「“没興趣”游“無算術国”」を含め8つの科学童話が収められているが、四人組全盛時代までにみられた児童書とは大きく違っていて、『毛主席語録』からの引用もなければ、大人顔負けの「為人民服務」「自力更生」ぶりを発揮する気持ちの悪い“おとなこども”などは全く登場しない。行間に浮かび上がるのは、毛沢東思想に言及することなく、ただ素直に事実を以って事実を学ばせようとする姿勢である。これこそが鄧小平が高く掲げた「実事求是(=事実に基づいて真理を求める)」の別の表現だろう。《QED》