【知道中国 2702回】                      二四・六・仲一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習368)

『中華人民共和国第五届全国人民代表大会第一次会議文件』の冒頭には、『毛主席語録』からの引用はみられない。因みに『中華人民共和国第四届全国人民代表大会第一次会議文件匯編』は冒頭に「国家の統一、人民の団結、国内各民族の団結。これが我われの事業を勝利に導く基本的な保証だ」を掲げている。

 「第五届大会」における憲法改正に関する報告者は四人組逮捕の立役者だった葉剣英(全国人民代表大会常務委員会委員長)で、華国鋒(総理)が「団結し、社会主義の現代化された強国建設のために奮闘しよう」と題する政府工作報告を担当した。

華国鋒の政治報告は1978年2月26日に行なわれているが、10ヶ月ほどが過ぎた12月には、鄧小平が毛沢東の権威を墨守する華国鋒らの動きを封じ込め、返す刀で毛沢東路線を綺麗サッパリと捨て去り、対外開放路線へと大きく舵を切る。かくて中国独自の社会主義、いいかえるなら独裁政権下での弱肉強食そのままの“野蛮市場社会主義”が始まった。

 今から振り返れば、誰も見向きもしそうにない政治報告であり憲法改正報告だとは思うが、どうしてどうして当時の政治的情況が反映されていて、じつに興味深い。

 たとえば憲法改正に関しては、張春橋は報告の最後を「全国各民族人民、先ず以って共産党員と国家工作に携わる人員は必ずやこの憲法を真摯に執行し、勇気を持ってこの憲法を守り抜き、プロレタリア独裁の下で継続革命を徹底して推し進め、我らの偉大な祖国がマルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想の指し示す路線に沿って勝利のうちに前進することを保証しなければならない」と、なんとも勇ましく、それでいてこのうえなく空虚な響きを残して閉じた。 

 一方、葉剣英の報告は「今から23年後には21世紀に突入する。我ら社会主義の祖国がどのような変容をみせるのかを考えてもみよう。我われは国の上下を挙げて一致努力し困難を克服し、敵に打ち勝ち、我が国を現代化された偉大なる社会主義の強国として建設し、共産主義の遠大な目標に向かって前進しよう。これは偉大なる領袖である毛主席が遺された願いであり、同時に敬愛する周総理、朱委員長とそのほかのプロレタリア革命家の先人たちが一生を捧げ奮闘し、数限りない先烈が鮮血を流し犠牲となった偉大なる事業なのだ。この事業を我われは必ずや勝利のうちに達成する」と、“再出発”への決意を滲ませる。

 1975年には「プロレタリア独裁の下で継続革命の徹底を」と掲げた中華人民共和国憲法だったが、3年後には「現代化された偉大なる社会主義の強国」の実現を期すと書き換えられていた。転変極まりない憲法こそ、行方の定まらない政治路線と激越な権力闘争の反映というもの。これが、いまから45年ほど昔の中国の現実だったことを、やはり、ハッキリと覚えておく必要があるだろう。

 1978年4月出版の『動脳筋爺爺①②③④』(少年児童出版社)は、国民生活向上を掲げる劉少奇の存在感が高まった時期の1964年に出版された児童向け科学読物の再版。毛沢東も共産党も登場せず、政治宣伝臭は皆無である。(第456回、2378、79回を参照)

1978年6月出版で手許に残っている『中国古代史常識 先秦部分』(中国青年出版社)の冒頭に置かれた「出版説明」には、「多くの中等程度の文化水準の青年労働者・農民・兵士に加え、現役学生を主たる対象とする歴史基礎知識に関する読物であり」、「マルクス主義、毛沢東思想を指導指針に、問答形式によって我が国古代の歴史時期、重要な歴史的事件、代表的人物に関して系統的で簡にして要を得た知識を学ばせ、歴史唯物主義、革命伝統教育を施そうとする」とある。

だが、250頁ほどの何処にも、毛沢東の「も」の字も、『毛主席語録』からの引用もない。権力者の有為転変は世の倣い。時代の歯車は確実に動き始めたようだ。《QED》