【知道中国 2699回】                      二四・六・初五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習365)

漢族の圧政下に呻吟するチベット、ウイグル、内モンゴル、朝鮮などの各少数民族の悲惨な現状を知るほどに、非漢族の「解放の情誼と願望」を踏みにじっている最大の要因が漢族の掲げる超自己チュー中華民族主義にあることは、どうにも動かし難い事実だろう。

アジテーション調の文体は最終部分に至って最高潮に達し、次のように畳み掛ける。

「神州大地(ちゅうごく)の東方の空が曙に染まり一筋の真紅の光が射し、四方の空を鮮やかに染めあげる。我らが偉大な領袖であり導師である毛沢東同志は、中国における旧民主主義革命がプロレタリア階級の導く新民主主義革命へと向かう分岐点にあって中国と世界を改造し、中国と世界の人民に共通する利益を図るべく壮大な信念を抱き時代の最前線に立ち、マルクス・レーニン主義を創造的に用いて中国革命の具体的情況に結びつけ、中国共産党を創建し、歴史の前進的発展を指導し、中国人民を勝利から勝利へと導いた」

以上が『近代中国史話』が訴える1977年末の時点における中国近代史の総括、いわば共産党政権の歴史認識と見なすことができる。やはり毛沢東はもちろんのこと、その毛沢東が「創建」した中国共産党は“永遠に不滅”でなければならない。であればこそ、天安門の楼門に掛けられている巨大な毛沢東像もまた“永遠に不滅”であり、《毛沢東=党/党=毛沢東》の構図を崩すことは断々固として許されないのである。

そこで思い出されるのが『列寧』(第2785、86、87回)が特に引用した記したマヤコフスキイの長編叙事詩『ウラジーミル・イリーチ・レーニン』の次の一節だろう。

「党、労働者階級の背骨。/党、我らが事業の究極。/階級の頭脳、階級の極み、階級の力量、階級の光栄――これこそが党。/党とレーニン、一対であり、双子の兄弟。/歴史の母親の眼においては、どっちが、より尊いのか?/我らが『レーニン』と口を開けば、指すところは党/我らが『党』と説けば、それはレーニン」

ここで「レーニン」を毛沢東に置き換えれば、そのまま『近代中国史話』の結論となるはず。こう考えるなら、『近代中国史話』は習近平独裁体制下の中国を知るうえでの“必読文献”と見なすこともできる。

1978年に入ると、共産党政権の重点は四人組残党処分と文革における犠牲者の名誉回復を進める一方で、毛沢東と四人組が突き進んだ過激な政治路線によって引き起こされた災禍――政治・経済・社会・教育・文化なども含む内外政策全般――からの復興に移る。とはいえ《毛沢東=党/党=毛沢東》の“不磨の鉄則”を崩すわけにはいかない。それが崩れたら共産党の正統性が脆くも雲散霧消しかねないからだ。

1月購入は『青年自学叢書 邏輯語法修辞漫談』(《邏輯語法修辞漫談》編写組 上海教育出版社)と『作文知識講話』(劉厚明 中国少年児童出版社)の2冊のみ。購入した書籍の数が以前に較べ格段に少ないが、当時を思い起こせば、筆者が落ち込んでいた財政逼迫状況が主な要因ではなかったか。

1978年12月に開かれた共産党第十一期三中全会において、「英明なる領袖」だった筈の華国鋒は鄧小平によって党の実権を事実上剥奪され、毛沢東時代は終焉を迎え、全国民に向かって「兎にも角にもネズミを捕まえる猫となれ」と叱咤激励する鄧小平の時代へと、中国は大転換をみせることになるが、『邏輯語法修辞漫談』は華国鋒派と鄧小平派の双方が鎬を削って権力闘争を展開していたであろう時期、いわば“毛沢東時代の黄昏”に出版されたことになる。

 おそらく当時は物資が極端に不足していたと思われる。それというのも文革時代の同種の書籍の多くに表面が滑らかな白い上質紙が使われていたのに対し、この本は茶色のザラ紙でしかない。文革の10年の後遺症は、こんなところにまで及んでいたのか。《QED》