【知道中国 2698回】                      二四・六・初三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習364)

馥郁たる酒の香漂う李白の詩であっても、飽くまでも政治的視点から読み解こうとする。この頑ななまでの政治主義こそが中国式政治文化のクセというものだろうか。かりに漢詩もまた政治的な述志の道であり、あるいは政治的な意念表出、あるいは述志の道であるとするなら、その点に思いを及ばすことのない漢詩鑑賞方法では、李白のみならず中国人の漢詩が秘める政治性の韜晦ぶりを読み解けないに過ごしてしまいそうだ。

それにしても古来、一事が万事で政治、政治、政治・・・厄介極まりない隣人ではある。

『有吉佐和子小説選』だが、なぜ、この時期に、有吉なのか、との疑問が湧く。だが巻頭に置かれた「出版説明」に「(有吉は)1961年以来、我が国を数多く訪問し、中日両国人民の友好と文化交流に積極的に貢献してきた」と記されている辺りから判断して、彼女を「中日友好人士」と認め、この本が出版されたということだろう。

『有吉佐和子小説選』が文学作品として当時の中国でどのように評価されたのかは不明だが、それから半世紀ほどが過ぎた現在、最近の中国では“おひとりさま教”の教祖・上野千鶴子の作品が静かなブームとか。有吉と上野の受け入れられ方の違いが、中国社会の半世紀余の変貌を物語っているようにも思えるのだが。

1977年の最後は『近代中国史話』である。

改めて、この本出版の前後を振り返ってみると、前(1976)年には毛沢東の死と四人組逮捕があり、翌(1978)年末には、鄧小平に率いられた共産党政権は政治から経済へ、革命からカネ儲けへ――「滅私奉公」ならぬ「滅私奉毛」の毛沢東路線をきれいサッパリと清算し(たはずだが?)、新たな道への“革命的大転進”を果たした。

つまり現在の傲慢大国への道を拓くことになる改革・開放路線に大きく舵を切ったわけだが、ならば、この本が出版された当時は毛沢東路線を継承すべきか否か。開放派と毛沢東主義者との間で、熾烈な権力闘争が展開されていたと考えられる。

 『近代中国史話』は3部構成――1840年のアヘン戦争を発端に1851年の太平天国軍の挙兵から1870年代初頭の太平天国の壊滅までを「第一章 侵略は反抗を引き起こす」、中国市場を目指して驀進し熾烈な利権獲得競争を展開する列強の専横と中国人民の抵抗を「第二章 帝国主義は永遠に中国を滅亡させることは出来ない」、清朝転覆を導いた1911年の辛亥革命に繋がる革命家の苦闘の軌跡と中華民国建国前後を「第三章 帝政を転覆し、共和国を建国する」――によって中国近代史を記している。

「史話」と銘打たれているだけあって史実を巧妙に組み合わせてあり、近代史が面白く判り易く綴られている。だが、それだけに資料の引用は牽強付会で身勝手気侭。自らに不都合な部分への言及は巧妙に避け、あるいはスッ飛ばし、中華民族至上主義を全面に大きく掲げ、民族主義に訴え、中華民族の近代を“蹂躙”した封建地主階級と帝国主義という内外の敵に対する“復仇”を煽りまくる。まさに歴史アジテーションといったところだ。

たとえば第一章は、西南や西北の辺境に棲む少数民族を「兄弟」と呼び、彼らは「中国近代第一次革命」である太平天国に呼応し相互に助け合いながら「反帝反封建民主革命の戦いの途上において肩を組み、中華民族解放のために、自らが置かれた条件の中で可能な限りに卓越した貢献をみせた」とし、雲南に住む多くの少数民族の「20年に及ぶ戦いは中国各民族人民による戦闘的団結を反映し、共に解放の情誼と願望を希求した」と、ハデに持ち上げる。

だが中華民族を掲げはするが、各民族の平等を必ずしも意味せず、飽くまでも“漢族の漢族による漢族のための中華民族”である。漢族に対し少数民族は永遠に下位の立場に置かれたまま。上下関係を崩さず、むしろ固定化を狙う。トンでもない話だ。《QED》