【知道中国 2692回】 二四・五・念二
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習358)
『緬懐周総理対文物考古工作的親切関懐』は「偉大なるプロレタリア階級の革命家、全国人民が衷心より尊崇し愛護する周恩来総理が我われの許を去ってから1周年」を記念し、「周総理の生涯にみられる偉大なる功績を心から懐(おも)」っての出版だそうだ。
以下、この本に記された周恩来の「偉大なる功績」のいくつかを示しておくと、
1951年12月、稀代の書家で知られた王献之や王珣の筆跡の名残を現代に伝えるといわれる「中秋帖」「伯遠帖」が香港で競売に掛けられようとし、「帝国主義者が分不相応にも強く求めていた」。「その事情を知った周総理は、直ちに厳命を下し買い戻し、外国人が持ち去ることを断固として阻止した」。以来、周恩来は北京の都市再開発によって解体寸前の歴史的建造物や全国各地の古跡の数々を守り、時に「文物管理保護条例」の制定に努め、時に共産党革命にとって重要な蜂起拠点などの保存にも積極的な役割を果たした。
その過程で飽くまでも自分を殺し、毛沢東を徹底して崇め奉ることを忘れてはいない。
たとえば1961年のこと。ある武装蜂起地点に建てられた記念館を訪れた際、武装蜂起における自らの働きに就いての話を求められるや、「当時、農村での革命根拠地の重要性を提示していたのは毛主席たったお一人だった、と語った。周総理のこのようなプロレタリア革命家としての崇高で気高い品格と徳行は、我われにとって喩えようもなく深い意義を持つ教育となった」と記した後、こう続ける。
「だが、あのブルジョワ階級の野心家、陰謀家、叛徒、売国奴はこの上なくのぼせあがる。我を忘れた己惚れ野郎であり、到るところに己を讃える碑を建設し、自らを顕彰したものだ。劉少奇、林彪がこうであり、四人組もそうだった。四人組の王・張・江・姚のヤロー共は『革命を騙る反革命』を掲げ、なんと厚顔無恥にも自らを『正しい路線』としてそっくり返っていた。自己批判の真似事さえしたことは全くなく、どこへ行っても尊大ぶった振る舞いをみせるばかりだった。
大野心家で陰謀家の江青は大寨でチッポケな坑を掘っただけなのに、人々を動員して麗々しく保存させようとしたのだ。これとは際立って対照的なのが周総理である。この上なく高尚な品格と徳行が人民の愛戴と崇敬を集めないわけがない。四人組の根性の、なんとも野卑で穢れてネジケていることか。人類のツラ汚しだ」
――こんな大仰な文章を読まされると、やはり鼻白むばかり。
なお、大寨とは毛沢東路線を学び自力更生で増産を達成した農村として文革期に大いに持て囃された農村のこと。当時、同じく自力更生を貫く労働者の手で開発されたとされる大慶油田とともに全国に喧伝され、「農業学大寨、工業学大慶」のスローガンは全国を覆い尽くした。後に、大寨方式はインチキだったことが、白日の下に曝されることとなる。
ところで、ここまで誉め讃えられるほどに周恩来はリッパだったのか。猜疑心と権力欲が凝縮したような毛沢東に仕え、激越で冷酷非情な権力闘争を生き残ったわけだから、「この上なく高尚な品格と徳行」の衣の下になにが隠されていたのか判ったものではない。
この本は「周総理が毛主席の『古為今用(イニシエを今に用いよ)』との偉大な教えに基づき、文物考古工作に関し系統的で原則的な指示と具体的な指導を行い、文物考古工作に明確な方針を示した」ことを、「周総理生涯の偉大なる功績」と大いに讃える。だが、これを裏返せば、周恩来は毛沢東の指示に従った。つまり毛沢東に命ぜられるがままであり、かくて従順で有能な執事だったということだろう。
ここまで褒めちぎる背景にはなにがあるのか。周恩来に対する“誉める殺し”とも思われるが、ヒョッとして鄧小平の進出阻止と受け取れないこともない。それにしても彼らが狂奔する権力闘争の底の、底の・・・底は余りにも昏く深く、複雑怪奇に過ぎる。《QED