【知道中国 2689回】 二四・五・仲六
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習355)
これを好意的に読み解けば、四人組によってネジ曲げられてしまった文芸工作を、かつて延安時代に毛沢東が行なった「文芸講話」の基本――「工農兵の、工農兵による、工農兵とために文芸」――に立ち返るべきだとの視点から、四人組時代の四人組のための文芸を脱却し、新しい華国鋒時代に添うべく再構築しようというのだろう。
一例として「我愛北京天安門」と名づけられた舞踏劇のシナリオ(楽曲、イラストによる振り付け)が示されている。「偉大領袖毛主席」「天安門の上に太陽が昇る」「毛主席の導きで我らは前進する!」などと唱われても、1966年の文革開始以来の長い不毛な時間を潜り抜けてきた人々の心に深く染み入るとはとても思えそうにない。
『骨肉情深(曲芸輯)』は、福建、河南、山東、四川や少数民族居住区で人々が慣れ親しんできた民間芸能の台本を集めている。書名になっている「骨肉情深」は福建省の地方劇で、台湾海峡を東に渡って「歌仔戯(台湾オペラ)」と呼ばれる芝居に変化した。つまり台湾海峡の両岸で行なわれている民間芸能ということになる。
オペラ形式の伝統劇であり、歌と台詞で構成されている「骨肉情深」の粗筋は、中国側の造船技術の粋を集めて建造された漁船団が豊漁からの帰路の荒れ狂う台湾海峡で、沈没の危機にあった台湾側の漁船の救助に乗り出す。満載した魚を海に捨て船体を軽くしない限り「血肉を分けた台湾の同胞を救えない」。そこで船長は収穫した魚を躊躇することなく投棄し、台湾漁民救助に乗り出した。
かくて感謝の涙を流す台湾漁民に向かって、中国側船長は「感謝するなら共産党に、感謝するなら大きな救いの星である毛主席に」と呼び掛ける。台湾漁民が「蔣介石政権に苛め抜かれて数十年」「ヤツラの話はでたらめばかり」と訴えると、中国側の漁師は「台湾同胞の血と涙の訴えを聞き、我らの怒りは燃え上がる」。かくて「五星紅旗を必ずや宝の島の台湾に翻すぞ!」と雄叫びを上げるのであった。
台湾統一を掲げ民族主義を煽り、積年の政治的不満の一掃を狙ったに違いない。
『唖巴伙記』だが、「唖巴」はオシ、「伙計」はレストランなどのボーイを指す。文革盛時、『毛主席語録』を懸命に学習して売り上げを格段に伸ばした屋台のスイカ売りの爺さんの話が話題になったことがあるから、てっきり『毛主席語録』を“死に物狂い”で活学活用して喋れるようになったボーイの物語と思って読み始めたが、当てが外れてしまう。
時は1948年初冬。国共内戦において国民党軍の息の根を止めたといわれる遼瀋、平津と共に3大戦役の1つに数えられた淮海戦役に向け、華東と中原の両野戦軍は国民党軍を包囲・殲滅すべく勇躍として戦略部署に就いた。
この物語の舞台となる双橋鎮は安徽省北部の戦略上の要衝であり、国民党軍の食糧や武器・弾薬の集積地であった。共産党安徽省北部ゲリラ部隊は偵察要員である謝康を双橋鎮に送り込む。彼は“ツンボでオシ”を装って国民党幹部御用達の料亭で知られる得意楼にボーイとして潜り込み、敵の内情を探索することになる。
巻頭の「内容提要」が「手に汗握るストーリー展開。的確な文章表現は中高生の読物としては最適だ」と自負するだけあって、革命とか人民解放戦争とかいう面倒臭いリクツ抜きの冒険活劇として読んでも、確かに面白い。その面白さが最高潮に達するのが、謝が敵に内通していた呉の正体を暴き人民裁判にかける「九 人民裁判」の章だろう。《QED》