【知道中国 2688回】                      二四・五・仲四

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習354)

はたして、この種の行動様式は共産党であるからか。文革という特殊な政治的環境下に置かれたからか。はたまた民族的特性なのか。ここで頭に浮かぶのが「共産党×文革×民族的特性」といった図式である。

全53編に及ぶ四人組批判の「雑文」に書き連ねられた罵詈雑言は多種多彩で、興味は尽きない。よくぞここまで、と唸らざるをえなかった“形容詞”のいくつかを拾うと、

「政治的ペテン師」「ニセ毛唐」「西洋ポチ」「西洋のガラクタ」「西洋狂い」「人面妖怪」「ゲッペルスの弟子」「人食い鬼」「ハエ」「蚊」「害人虫」「大野心家」「大陰謀家」「二重人格」「売国奴」「デマ製造機」「デマ師」「新生ゴミ」「教唆犯」「吸血鬼」「復辟迷妄者」「老反革命家」「新生反革命家」「殺人狂」「狂犬」「文化ゴロツキ」「狢」「野良犬」「ニセ革命家の反革命家」「淫書耽溺者」「紅色女郎」「政治的スリ」「復辟狂」「犬畜生」「特務」「ノータリン」「クソ」「ムダメシ喰らい」「鬘の下のハゲ頭」などなど。

まだまだ延々と続くから、ウンザリ。なかには流石に日本語では適訳が見当たらないもの。ムリヤリ訳したところで日本的感覚では“公序良俗”に反するものも少なくない。というわけで、ここら辺りで罵言のコレクションは止めておくこととする。

ともかく、そういった極悪四人組(ついでながら、王・張・江がヤセで姚がデブだったことから、「三ヤセに一デブ」といった表現もあった)の言動の「一切が人民の目をゴマカシ、ヒトを喰らい、騙すためだった。時至らばプロレタリア階級独裁をひっくり返し、共産党をファシスト党に、プロレタリア階級の軍隊をブルジョワ階級の手先に、社会主義国家を植民地に作り変えようと狙っていた」。だが「我々は彼らと鋭く対決し、革命の与論を大いに巻き起こし、華主席を首とする党中央の周囲にシッカリと団結し、四人組を徹底して告発・批判し、毛主席が切り拓いたプロレタリア階級の革命事業を徹底して前進させよう!」との結論に辿り着くわけである。

ここに至れば、誰だって大きな疑問が湧く。いや、湧かないわけがない。

そんなにも空恐ろしい大罪を企んでいた四人組の反革命策動を、「百戦百勝」を誇る毛沢東思想は、なぜ、早い段階で見抜き、摘発・根絶することができなかったのか。ここまでくると、またまた疑問の堂々巡りに陥ってしまうが、やはり「偉大的領袖」も寄る年波には勝てず。往年の怜悧・冷徹・冷血・非情な判断力が失せていたということだろう。

中国の建軍記念日は、路線を転換した共産党が江西省南昌で武装蜂起した1927年8月1日に因んでいる。周恩来、朱徳らに率いられた2~3万の国民革命軍が蜂起したものの、蔣介石軍に破れ潰走した末の1928年4月に井岡山で毛沢東率いる勢力に合流し、軍事部門代表(軍長)に朱徳が、党代表に毛沢東が就いて「工農紅軍第四軍」を成立させる。いわば毛沢東革命の“原点”でもあるわけだ。

 『南昌起義』は、南昌での武装蜂起から井岡山における工農紅軍第四軍成立までを一貫して毛沢東正統史観で綴る一方で、南昌武装蜂起の「偉大なる意義を徹底して貶め」、「老世代のプロレタリア革命家の歴史上の功績を抹殺し、党の簒奪と資本主義復辟という極悪非道の罪を犯そうと妄想した」「天をも恐れぬ極悪人」こそ「林彪反党集団であり、王洪文、張春橋、江青、姚文元の四人組反党集団である」と、激しく糾弾した。

 かくて人民解放軍建軍50周年を記念し、「我々は毛主席の偉大なる旗を高く掲げ、英明なる領袖・華主席を頭とする党中央の指導の下、固く団結し戦い、治国を柱とする戦略を定めた政策を実現し、今世紀内に我が国を偉大な社会主義現代化強国として建設するために奮闘する」と固い決意を披瀝するのだが、その大前提として「国防力量を不断に強化し」、「革命化され現代化された強大な国防軍の建設」を高く掲げることになる。《QED》