【知道中国 2687回】                      二四・五・仲二

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習353)

そして最後を、「歴史の潮流に逆らう一切の反動派は、断固として歴史の懲罰から逃れることはできない! 偉大なる革命の導師レーニン、偉大なる領袖で導師毛主席は永遠に全世界の革命人民の心に裡に生き続ける! /広州警備区某部一連理論組 五四四二九部隊訓練科 1977年1月」と締め括った。

改めて考えるに、『列寧』は単に四人組を徹底して蔑む狙いから出版されたものなのか。

それとも四人組批判に託けて、来るべき鄧小平時代――毛沢東路線に対する再解釈――の到来を予め見越しての牽制なのか。共産党中枢における権力闘争の摩訶不思議さを、『列寧』は十分に感じさせてくれる。

それにしても「党、労働者階級の背骨。/党、我らが事業の究極。/階級の頭脳、階級の極み、階級の力量、階級の光栄――これこそが党。/党とレーニン、一対であり、双子の兄弟。/歴史の母親の眼においては、どっちが、より尊いのか?/我らが『レーニン』と口を開けば、指すところは党/我らが『党』と説けば、それはレーニン」の一節が強烈に指し示す「党」と「指導者」の関係はコインの裏表、いや裏表を超えて緊密に一体化している。この点こそを、共産党独裁政治の推移を考える上でも常に脳裏に深く刻み込んでおくべきではないか。

ここで、試みに経済政策失策で苦境の陥っているとメディアが盛んに伝える習近平政権の昨今の姿を考えてみたい。

はたして習近平の思考回路を統御するOSが「我らが『習近平』と口を開けば、指すところは党/我らが『党』と説けば、それは習近平」の“基本文法”でプログラミングされていたとするなら、中国に対する見方を根本的に改める必要があるはずだ。共産党政治は、なによりも《習近平=党/党=習近平》の権力図式によって統御されている――こう考えるなら、マヤコフスキイが遺してくれたレーニン賛歌は意義深く、中国政治を捉える上で有意義極まりない視点を示唆しているということだろう。

1977年7月、共産党は第10期三中全会を開催し、1)華国鋒の共産党主席兼中央軍事委員会主席就任を追認。2)鄧小平の職務復帰。3)江青、張春橋、姚文元、王洪文の党籍を永遠に剥奪し、その党内外における一切の職務の解除――を決議する。あわせて鄧小平が断固として華国鋒を擁護することを表明した。これによって四人組処分が正式に決定したことになり、共産党政権は新しい時代へと移るわけだ。

7月出版で手持ちは『“中山狼”的本性及其它 批判“四人幇”反党集団雑文集』(人民文学出版社)、『南昌起義』(魏宏遠編著 上海人民出版社)、『怎様記和看舞踏場記』(文化部文学芸術研究所編 上海人民出版社)、『骨肉情深(曲芸輯)』(人民文学出版社)、『唖巴伙記』(樹棻、上海人民出版社)、『体育鍛煉方法叢書 冷水浴、空気浴、日光浴』(《冷水浴、空気浴、日光浴》編写小組編著 人民体育出版社)の6冊である。

『“中山狼”的本性及其它 批判“四人幇”反党集団雑文集』だが、「中山狼」とは恩を仇で返す忘恩の徒、あるいは裏切り者を意味し、もちろん四人組を指す。『人民日報』『解放軍報』の全国紙から『山西日報』『福建日報』などの地方紙にまで掲載された四人組告発の50数本のコラムが集められている。

読後感を一言で表現するなら、まさに罵詈雑言がテンコモリとなった悪罵文学の最高ケッサク。昨日まで国家の最高指導者と崇め奉っていたヤツらが権力の座から突き落とされた途端、よくもまァ、いけシャーシャーと、ここまで徹底して、イケイケドンドンで罵り倒し、完膚なきまでにバカにできるものだ、と感心するしかない。

だが冷静に考えれば、それって天に向かってツバすることに通じるだろうに。《QED》