【知道中国 2685回】                      二四・五・初八

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習351)

「科学童話」と銘打っているだけあって、『科学童話 一顆小水滴』は一滴の水滴が生まれる過程にはじまり、植物を含む地上に生きるありとあらゆる生命を潤す水の働きを分かり易く解説している。

「祖国の新しい姿を理解させ、科学知識を獲得させるため」との編集方針が掲げられているが、毛沢東の「も」の字も、文革の「ぶ」の字も、法家の「ほ」の字も、どこにも見当たらない。これが共産党独裁政権下における少年向けの科学読物か、と首を傾げたくもなろうというもの。だが、読み進みに従って、工業、農業、国防などの「各戦線」における水の役割が説かれ、水が社会主義革命と建設に必要不可欠なものであることを衆知徹底させようとする仕掛けが浮かび上がってくるから不思議だ。敢えて偏狭なイデオロギーの時代からの転換を感じさせる「科学童話」とでも言いたいほどである。

1977年6月に入ると、1966年夏の文革発動以来吹き荒び続けた政治的暴風がピタリと吹き止み、政治的な凪とでも呼んでもよさそうな状況が出現した。だが、その後の展開を考えるなら、凪は飽くまでも一時的で表面的なものでしかなく、新しい時代を見据えての次なる権力闘争の準備が水面下で秘かに激しく展開されていたと考えられる。

6月出版で架蔵しているのは『諸葛亮与武侯祠』(諸葛亮与武侯祠編写組 文物出版社)、『孫子今訳』(郭化若訳 上海人民出版社)、『永不下崗(三人舞)』(蘭州部隊政治部歌舞団創作 上海人民出版社)、『列寧』(馬雅可夫斯基著 飛白訳 人民文学出版社)の4冊である。

先ず『諸葛亮与武侯祠』だが、諸葛孔明を「三国時代の地主階級の傑出した政治家であり軍事家」と捉え、彼を祀った成都の武侯祠に関連する文物を「階級の視点から分析し、諸葛孔明の歴史上の意義を研究することで、社会主義歴史段階の全過程にみられる長期性と複雑性を深く認識する」。この点に「一定の意義」があると主張する。

『孫子今訳』は書名の通り『孫子』の現代語訳であり、「前言」の冒頭に「孫子の説く『彼を知り己を知れば、百戦殆うからず』は科学的真理である」との毛沢東の考えを掲げ、出版目的を次のように記している。

「我が国古代の大軍事学者」が記した『孫子』は、「我が国に現存する最古の兵法書であるであるだけではなく、世界でも最も早い時期の兵法書である」。とはいえ二千数百年以上も昔の著作であることから、「現代の人民戦争の法則を研究し、毛主席のプロレタリア階級革命路線を断固として貫徹し、一切の反動的ブルジョワ階級と修正主義の軍事思想と軍事路線を徹底批判する」という立場から、その中核的軍事思想の批判的吸収を試みる。

「前言」は比較的長文だが、批林批孔運動や四人組に対する大袈裟極まりない批判の類は一切見当たらず、分かり易い現代語訳が坦々と続く。

『永不下崗(三人舞)』は“革命の聖地”である延安を舞台に、革命戦争を闘った世代の不撓不屈の革命精神を受け継ごうとする若者たちの姿を描く舞踏劇の台本である。

『諸葛亮与武侯祠』、『孫子今訳』、『永不下崗(三人舞)』の3冊から荒唐無稽にも近い過激路線からの脱却を志向する雰囲気が伝わってくるのだが、はたして好意的に過ぎる見方だろうか。

『列寧』は「ロシア未来派」と呼ばれ、「ロシア・アバンギャルド芸術」の象徴的詩人ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・マヤコフスキイ(馬雅可夫斯基はマヤコフスキイの漢語音訳)の代表作で、「今日に至るまで、レーニンについての詩的作品のなかで、マヤコフスキイのこの長編詩に比肩し得るものは一つもない」(E・I・ナウーモフ)と讃えられる長編叙事詩『ウラジーミル・イリーチ・レーニン』の漢語による全訳。《QED》