【知道中国 2684回】 二四・五・初六
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習350)
納められた11本の作品は、華国鋒の出身基盤である湖南省各地の民謡、農村芝居、田植え歌などの台本である。毛沢東の後継者に就いたことで、彼は「英明領袖」という4文字を名前の上に冠されたわけだが、田舎のオッサン然としていて、少しも「英明」そうには見えない。
そのうえ、彼の正統性の根拠が毛沢東の“ゴ真筆”とされる「你弁事 我放心(あんたがやってくれたら、ワシャは安心じゃ)」の僅かの6文字。これでは内外から軽く見られても致し方なし。6文字の漢字が10数億国民の生殺与奪の権を握る世界最大の共産党のトップの地位を保障する唯一の根拠だとは、権威もヘチマもあったものではない。そこで昔から毛沢東の篤い信頼を得ていたとの“神話”を創り出すしかなかったに違いない。
こう考えられるわけだから、『華主席揮手我前進(曲芸演唱集)』は党を挙げての、おそらくは苦肉のデッチあげ作業の一環だと考えても、そう間違ってはいないだろう。
たとえば、「時はこれ1949年、毛主席指揮するところの百万の勇士は、怒濤の如く南へ南へと下ることとなりました」と語りだす農民向け講談「洪湖追匪」である。
――湖南省では土匪の万克三が暴れ回り、共産党軍の糧秣調達もままならない。作戦の成否は、ただに匪賊撲滅作戦にかかっていた。
「時あたかも、湖南省の要衝で知られる湘陽県共産党委員兼県大隊政治委員の要の地位にあったのが、誰あろう若き日の華主席でありました。毛主席の軍事思想を深く深~く、その身に宿し、抗日戦争においては、早くも優秀な指揮官として知らぬ者なきお方であった。こたびの戦においては、人民大衆を募って民兵隊を組織し、部隊を絶妙な場所に配されて、やがて匪賊を一網打尽」
ところが、である。万克三の湖南における匪賊稼業は20年以上。隅から隅まで知り尽くした地形を十二分に利用して、逃げては隠れ、隠れては反撃し(なんだか、この辺りは毛沢東の用兵法と似通っているが・・・)、追尾部隊を翻弄する。
だが、そこは毛沢東の信頼篤い若き日の華国鋒である。徹頭徹尾・用意周到だった。匪賊の先の先を読んで伏兵を配しておく。そこで追い詰められは匪賊が、「あの県大隊の華政治委員は、まるで神のごとき用兵の妙」と舌を巻くという寸法である。
最前線で指揮官は、「この尊い任務は華政治委員が下命され、この手が握る拳銃は手ずから与えて下さり、毛沢東思想を我らが心の裡にしっかと納めるよう教え諭して下さった」と感涙に咽びながら、匪賊殲滅を果たした。かくして物語は一気に終幕へ。
「この勝利こそ毛主席の人民戦争思想の勝利であります。この勝利、全てこれ華政治委員の差配であります。華政治委員は毛主席の革命路線を最も堅実に執行し、その指示は全てこれ毛沢東思想の輝きをいや増しに増すのでありました」と、先ずはメデタシめでたし。
――これこそが中国共産党式幇間芸というべきか。全編が拍馬屁(ヨイショ)の連続である。だが、数年先には「四人組打倒の個人的業績を過大評価した」との“断罪”が待ち構え、鄧小平の手で政権の座から追われてしまう。ヤレヤレ、である。とはいえ、これこそが共産党式権力闘争の冷酷非情な偽りなき現実というものだろう。
さて『在新標準面前(独幕話劇)』、『起跑線上(独幕話劇)』、『紅小兵歌舞 魚児献給解放軍』の3冊は、共に小芝居の脚本である。「(革命の果実は)我ら子々孫々とつながる革命人を共に未来に突き進ませる!毛主席の革命路線の指導の下、新たな路線に沿って、足並み速め突き進もう!」とか、「我らの新しい社会主義は発展を続け、新しい基準は常に我々の前に示される。新しい時代の新しい基準を前に、我らはどうすればよういだろうか?」と、新しい時代の幕開けを呼び掛ける。だが新時代に期待は持てるのか。《QED》