【知道中国 2683回】                      二四・五・初四

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習349)

巻頭を飾る「出版説明」は、「八億人民の心に積もり積もった積年の恨みは、火山のように一気に爆発する。九百六十万平方キロの地上には、『四人組』を攻撃すべしとの怒りの声が滔々として湧き起こる、〔中略〕『四人組』の天をも恐れぬ犯罪を糾弾するための人民戦争は、いままさに紅蓮の炎となって燃え盛っている」と、四人組討伐の雄叫びは天をも衝かん勢いをみせる。

その勢いのままに、「ヤツラの毒牙を引っこ抜き、ヤツラの狡猾なツラの皮と化けの皮を引っ剥がし、ヤツラを歴史の恥辱の柱に永遠に釘で打ちつけてやるぞ。我われの戦いには機関銃と迫撃砲が、匕首とライフルも必要なのだ」と四人組殲滅への断固たる決意が、滑稽なまでに漲っている。それにしても、悪罵の表現は驚くばかり。限りなく豊かだ。

だが昨日まで北京で毛沢東に次ぐ圧倒的な権力を行使していたはずの四人組が、文革で完膚なきまでに抹殺された劉少奇や林彪と同じように、一夜明けたら「偉大なる毛主席と全国人民にとって不倶戴天の敵」になってしまい、挙国一致の罵詈雑言を浴びつつ歴史からキレイさっぱりと消されてしまう。そのカラクリが不可解千万で判らない。

じつは、この本を隅から隅まで読んだが、四人組がナゼ悪いのか。納得できるような合理的説明、説得力のある回答は残念ながら、いや予想に違わずにまったく見当たらない。

『除四害雑文集』を貫いている根本は、「ヤツラは毛主席に叛き、毛主席の教えを無視し徒党を組み、党の実権を奪おうとして、とどのつまりは滅亡した」という同語反復の類でしかない。

これを要するに、ヤツラは悪いから悪い。ただ、それだけ。だが、《悪いから悪い》という単純極まりないカラクリこそが肝要なのである。

やはり北京の陰謀渦巻く奥の院における権力闘争に敗れたら最期なのである。徹底して叩き潰されるだけだ。水に落ちた犬に石を投げつけろとは、このことを指すに違いない。政敵の息の根を完膚なきまでに止めておかない限り、いつ息を吹き返して復讐の刃を向けられるか判ったものではない。殺(や)るか殺(や)られるか――二者択一である。

おそらく名状し難い究極の恐怖心こそがバネとなって、残酷極まりない政敵潰しに駆り立て、超弩級の悪口雑言の類を招き寄せるに違いない。

かくて1976年末、共産党は「徒党を組んで党を簒奪すれば、自ら滅亡を招く。これこそブルジョワ階級の野心家、陰謀家が必然的に歩まざるをえない運命なのだ。人の心は党の心であり、党員の心は分裂に賛成するものではない。四人組との闘いに戦勝した我われは、華国鋒主席を頭とする党中央の指導の下で団結をさらに固め、さらに堅強さを加え、光り輝く前途に向けて大きな歩幅で闊達に歩もう」と、全国民に熱く呼び掛ける。

それから4年が過ぎた頃、共産党は、「四人組打倒の個人的業績を過大評価した」などを理由に華国鋒に詰め腹を切らせ、権力の表舞台から退場させてしまった。

だからこそ考えされられるのが、『華主席揮手我前進(曲芸演唱集)』である。

冒頭の「出版説明」には、「農業は大寨に学び、大寨のような豊かな県を全国に広めよ。これは偉大なる領袖で導師である毛主席の重要な戦略的決断であり、7億農民が社会主義革命に深く関わり、社会主義建設の偉大な進軍の歩みを速めることであり、全党における戦闘的任務である。英明な領袖の華主席を頭とする党中央が国家に禍を与え人民に塗炭の苦しみを嘗めさせた『四人組』を一挙に粉砕した後、直ちに『四人組』の天をも恐れぬ罪業を徹底して暴き出し批判し、『農業は大寨に学び大寨県を広めよ』という新たな高まりを巻き起こした。この偉大な運動をより深く進展させるために」、中国人民解放軍広州部隊政治部歌頌華主席文芸写作組によって編まれた――と麗々しく記されている。《QED》