【知道中国 2681回】                      二四・四・卅

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習347)

 華国鋒支持派は共同社説に次いで二の矢を放つ。

 3月に北京に100人余の党中央委員を集めた工作会議において、毛沢東側近の中核であった汪東興が「我らが華主席に較べ鄧小平は劣る」と、華国鋒支持を打ち出す。ところが元老格の陳雲と王震が鄧小平復活を極力主張し、四人組逮捕への道筋を画策したとされる葉剣英と李先念は付帯条件を付けたうえで鄧小平復活を支持した。

鄧小平を復活させるかどうかの争いに決着を付けたのは、鄧小平自身だった。4月10日、華国鋒に「華国鋒主席を首とする党中央を断固として支持する」「断固として、永遠にプロレタリア文化大革命を否定することはしない」との書簡を送ったのである。

4月15日、華国鋒主席が主宰する形で『毛沢東選集(第五巻)』が発行されることとなる。かくて華国鋒派VS鄧小平派の戦いは決着することになるが、もちろん最終的には手練手管に長け、共産党内の権力闘争の修羅場を数多く潜り抜けてきた鄧小平が勝利を収めたわけだ。

因みに4月1日には、張春橋の母親である宋蕙卿は息子の逮捕を知り、絶望の余りに自殺している。

2、3、4月の間の購入図書は極めて少なく、2月は『中国原始社会』(陝西省西半坡博物館編文物出版社)、3月は『農民戦争史資料選注 張献忠伝注釈』(北京汽車製造廠工人理論組 中華書局)、4月は『老子注釈』(復旦大学哲学系《老子注釈》組注 上海人民出版社)、『掲発批判“四人幇”文選 (二)』(生活・読書・新知三聯書店香港分店)である。

『中国原始社会』、『農民戦争史資料選注 張献忠伝注釈』に『老子注釈』の3冊は、これまでに読み重ねてきた同類と内容的には大差がない。屋上屋を重ねる必要もなかろうから、ここでは書名を示すに止めておく。

そこで『掲発批判“四人幇”文選 (二)』を読むことにするが、“あの時”、毛沢東の死がなければ四人組による政治が続き、鄧小平は復活せず、1978年末の改革・開放もなかった。だから毛沢東の死は、四人組の政治壟断を苦々しく思っていた共産党幹部にとって千載一遇のチャンスだったはず。

「你弁事、我放心(お前がやってくれたら、わしゃ安心じゃ)」というたったの6文字で毛沢東から政権を禅譲された「英明な指導者」こと華国鋒を煽てあげた葉剣英ら長老は「赤信号みんなで渡れば怖くない」とばかりに四人組をふん捕まえた。

かくして反四人組キャンペーンが全国展開されることになるのだが、文献をしっかり学び、綱を確実に握りしめよう」と題する党機関紙『人民日報』、党理論誌『紅旗』、それに解放軍機関紙『解放軍報』の共同社説が冒頭に置かれている点からも、当時の党・解放軍・政府を挙げての四人組批判の内実が伝わってくる。

 だが、四人組のどこがどう悪いのか具体的に指摘されているわけではない。

社説は「華主席が我われを指導し、毛主席の遺志を継承し、“四人組”粉砕の闘争を継続することが、我が党の歴史において再度起こった重大な路線闘争である。〔中略〕華主席を頭とする党中央の周囲に堅く団結し、華主席を頭とする党中央の戦略部署にしっかりと続き、一切の行動は華主席を頭とする党中央の指揮に従い、心を整え歩調を合わせ、“四人組”を徹底的に批判するという核心任務をしっかりと把握し、天下を大いに治める新しく偉大なる勝利を勝ち取ろう」で結ばれている。

試みに『解放軍報』から転載の「12個の“ナゼ”は四人組の本質が極右であることを暴露する」を読んだが、四人組のどこが、どのように悪いのかサッパリ分からない。やはりリクツもヘチマもないわけだ。つまり四人組は四人組だから極悪・・・となる。《QED》