【知道中国 2679回】 二四・四・念六
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習345)
『“四人幇”的要害是簒党奪権』は、『人民日報』(1976年12月26日)の「“四人組”のキモは党の簒奪である」と題した社説を巻頭に置き、『人民日報』『解放軍報』『光明日報』などに掲載された四人組の反毛沢東・反党犯罪を暴露し、激しく糾弾する全14本の評論を収めている。
「批孔は口実で、真の狙いは党の乗っ取り ――四人組の批孔の先鋒のバケの皮を引っ剥がす」「断末魔の狂態 ――四人組による『毛主席臨終遺言』偽造の大陰謀を明らかにする」などといった禍々しい表題を目にしただけでも内容は察しが付こうというもの。とはいえ敢えて勇を鼓して読み進むと、こんな罵倒、あるいは揚げ足取りの手法があるのかと感心すること頻り。まさにマイリマシタ、である。
それにしても、つい最近まで四人組が影響下に置き、配下の筆杆子を自在に差配しながら批林批孔、法家絶賛の大キャンペーンを展開していた、いわば四人組によるメディア戦略の牙城だったはずの各紙によるアッケラカンとした“手のひら返し”には恐れ入るしかない。重ね重ねでマイリマシタ、である。
だが、これこそが共産党政権下の宣伝・洗脳機関としてのメディアの本来の役割と考えるなら、それはそれで権力闘争における敗者の側――首謀者とそれに加担した勢力――が甘んじて受け入れざるをえない宿命、いや権力闘争の修羅場に足を踏み入れた瞬間から、敗者に対する勝者の仕打ちは、それがどのように理不尽で苛酷であろうと、甘んじて受け入れることを覚悟しているのかもしれない。だからこそ負けられないのだ。ゼッタイに。
数年後の林彪・四人組裁判の法廷で喚き散らし、相手を罵倒し、ヘリクツを捏ねくり回し弁明に努め、時に恭順の意を露わにする江青、王洪文、姚文元とは完全に異なり、終始一貫して沈黙を貫いた張春橋に“敗者の矜持”を覚えたことを、改めて鮮明に思い出す。
ところで習近平は、毛沢東の死から四人組敗北への間の熾烈で冷酷苛烈な権力闘争の推移をどのように記憶し、そこからなにを学び取ったのか。その後に習近平が権力の階段を上る毎に熾烈の度を加えることになったはずの権力闘争において、はたして、それは生かされたのか。考えるほどに興味深いテーマではある。
『《学点歴史》叢書 義和団反帝闘争』と『《斉民要術》選注』は内容的には儒法闘争の路線上の出版であり、敢えて表現するなら儒法闘争の残滓といったところ。だからといって読まずにおくのも芸がなさ過ぎる。
そこで6世紀の後魏の人である賈思勰が編んだ『斉民要術』の主要部分に詳細な解説と注釈を加え、あわせて現代語訳を付した『《斉民要術》選注』だけにでも目を通しておきたい。
表紙を繰って奇異に思うのは、これまで必ず巻頭を飾っていた『毛主席語録』からの引用もなければ、本文中にも毛沢東の著作からの傍証も見当たらない。この点から、文革路線からの決別を、さりげなく示そうとしたと考えるのは早計に過ぎるか。
「前言」では、「我が国のみならず、世界でも最初の多方面の知識を網羅し完全な形で保存された農業関係の巨著である」『斉民要術』は12万字近くの漢字を使って書かれている。「後魏期とそれ以前の労働人民の生産に関する経験を総括し、内容は多彩であり、農業、林業、牧畜、漁業から醸造までを扱い、さらに料理技術にまで及び、それらを専門的に紹介している。扱われている専門知識についていうなら農学はもちろんのこと、化学、生物学、生物化学、医薬学、天文気象学などである。論じられている多くの技術やそれらに関する原理的発明や発見は凡て諸外国におけるより早い時期のものであり、中にはヨーロッパに較べ1千年以上も早いものもある」と、概要を自賛気味に紹介する。《QED》