【知道中国 2676回】                      二四・四・廿

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習342)

四人組も権力闘争の面白さに溺れ、権力を弄ぶことに弄ばれた末に、劉少奇、それに続く林彪と同じように敗者の道を歩まざるを得なかったわけだが、なぜ彼らは権力闘争の凄まじいばかりの、見方を換えるなら復仇の非生産的応酬を繰り返すのか。

 ここで熾烈な近現代の権力興亡史を錯綜させながら、京劇役者の人生と京劇の歩みを描き出した映画『さらば我が愛/覇王別姫』を世に問うた陳凱歌の半生記『私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春』(講談社現代新書 講談社 1990年)の一節に思い当たるのだ。

「昔から中国では、押えつけられてきた者が、正義を手にしたと思い込むと、もう頭には報復しかなかった。寛容などは考えられない。『相手が使った方法で、相手の身を治める』というのだ。そのため弾圧そのものは、子々孫々なくなりはしない。ただ相手が入れ替わるだけだ。〔中略〕当時の風潮は、『敵に対して厳寒のように冷たく無情に』というものだった」

 どうりで習近平は胡錦濤に対しても李克強に対しても、「厳寒のように冷たく無情に」振る舞っていたはずだ。

 1976年11月、12月は四人組の残党処理と華国鋒体制の正統化に終始している。その典型として生活・読書・新知三聯書店香港分店で発行された『堅决擁護領袖華主席憤怒声討“四人幇”(一)』を挙げておきたい。

 表紙を来ると、「毛主席の遺志を継承し、プロレタリ階級の革命事業を徹底して推し進めるぞ!」「偉大にして、光栄あり、正確な中国共産党万歳!」「戦いに敗れることなきマルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想万歳!」と大きく記されている。

 冒頭に置かれたのは、四人組打倒を祝う「首都慶祝大会」における呉徳中共中央政治局員兼中共北京市第一書記兼北京市革命委員会主任の講話であり、続いて『人民日報』『紅旗』『解放軍報』の共同社説「偉大なる歴史的勝利」。以下、『人民日報』の記者や評論員、北京市汽車工業公司理論組、北京市製薬廠工人理論組、煤炭工業部大批判組、さらには反四人組の筆杆子(イデオローグ)と思しき筆名の告発文がコレデモカと並ぶ。

 ここで華国鋒をトップに据えた共産党が内外になにを訴えようとしていたのか。国民をどのように煽ろうとしていたのか。その辺りを見ておきたい。

 先ずは冒頭の呉徳の講話である。「同志諸君、友人諸君」と呼び掛け、こう切り出す。

「本日、首都の党・政・軍機関、工農兵及び各界の代表は、この場に集い、慶祝大会を盛大に厳かに執り行い、華国鋒同志が中国共産党中央委員会主席、中国共産党中央軍事委員会主席に就任したことを熱烈に慶祝し、王洪文・張春橋・江青・姚文元の反党集団による党の簒奪を目論んだ陰謀を粉砕する偉大な勝利を勝ち取ったことを熱烈に慶祝する。

数日来、全党・全軍・全国各族人民は衷心より心の高鳴りを覚え、全国は一つになって歓喜に沸き返っている。限りなき人民大衆は挙って先を争い街頭に飛び出し、プロレタリア階級がブルジョワ階級に反撃を喰らわせた決定的意義を持つ偉大なる勝利を掴み取ったことを慶祝する」

以後、四人組と言う名の「反党集団」が「毛主席の病気の重篤さと逝去の機に乗じて、党と国家の最高指導権の簒奪を目論んだ」ものの、我が党は彼らの野望を粉砕した。

かくて「我々は華国鋒主席を首(かしら)とする党の周囲に必ずや緊密に団結し、毛主席の遺志を継承し、マルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想の偉大なる紅旗を高く掲げ、党の基本路線を堅持し」、「華国鋒主席を首とする党中央の指導の下、団結可能な全ての力量を団結させ、一切の積極的要素を運用し、我が国の社会主義革命と社会主義建設を必ずやより良く進めよう。〔中略〕毛沢東思想万歳!」と、“常套句”で結んだ。《QED》