【知道中国 2675回】                      二四・四・仲八

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習341)

それらに拠れば「76年4月毛主席は華国鋒同志の共産党中央委員会第一副主席、国務院総理ヘの任命を自ら提案」し、「4月30日、毛主席は自ら『你弁事 我放心』と記し、華国鋒同志への無限の信任を表明した」。9月9日に「毛主席が逝去するや、華国鋒同志を首(かしら)とする党中央は果断な処置を採り」、10月9日には「王洪文、張春橋、江青、姚文元からなる反党集団を告発し、革命と党の危機を救い、我が国のプロレタリア独裁を強固にし、我が党、我が軍、我が国各民族人民をして毛主席が導いた社会主義と共産主義の航路に沿って勝利に向かい前進を続けることを可能ならしめた」となる。

かくして、「華国鋒同志を首とする党中央は全党・全軍・全国各民族人民の心からなる敬愛と熱烈なる擁護を得たのである。闘争の事実が、毛主席生前の決定のこの上なき英明さを物語っている。毛主席の事業は後継者に人を得た。我が党もまた自らの領袖である華国鋒同志を得た」ことを、「歴史的偉大性勝利」とし、「首都百万軍民」が盛大なる慶祝集会を開き、北京在住の「台湾省愛国同胞」も万難を排して集い、四人組を「各族人民共同の許し難い敵」だと怒りの声を挙げて告発した――と記す。

 それにしても、四人組逮捕も『偉大的歴史性勝利』の出版も同じ10月。はたして出版が決まってからの逮捕ではなかったか、と冗談抜きで勘繰りたくなるほど。まさに呆れ返るほどの手回しの良さだ。そのうえ、どの文章も読み進むに従って気恥ずかしさが増すばかり。まさに“常軌を逸した”と形容せざるをえないほどに歯の浮くような表現がテンコ盛り。まさに過ぎたるは及ばざるが如し。徹頭徹尾・終始一貫してウソ臭い。

たとえば「八億人民的盛大節日」は、「北京は歓呼に振るえ! 神州(ちゅうごく)は沸騰している!/長城の裡と外、大河の南と北、祖国の九百六十万平方キロの大地では、人民大衆の心はこの上なくの舒暢(のびやか)で、闘志はこの上なく旺盛だ!〔中略〕八億人民が澎湃と沸き起こる激情を込め、この上なく盛大な祝日を歓迎しないでおられようか。/邪悪で怪しげな風を一掃すれば、祖国の空は高く紺碧に晴れ渡り、四害(よにんぐみ)を根っこから取り除いたことで、祖国の山河は一層美しく蘇った」と、無邪気で屈託なく歓喜を爆発させているのだ。

だが、さしてテレた雰囲気も見せずにここまで大仰になれるものかと首を傾げたくもなるが、だからこそ同じ「かんき」でも「歓喜」ではなく「寒気」を強烈に感じざるを得ない。ここら辺りに、中国語(漢字)が秘めた意味と視覚と聴覚の乖離を垣間見るようだ。いいかえるなら表現の過剰包装であり、大袈裟が過ぎるのである。

かくて奇妙奇天烈で不思議な高揚感で満ち溢れた四人組告発の論考は、「歴史の大河は滾々と流れ、革命の潮流は奔騰する。我らの前途は燦然と光輝き、どのような力も革命の前進の歩みを押し止めることはできない」と、雄々しく猛々しく激越に結ばれている。

 あれから48年が過ぎた。はたして毛沢東のよい子世代のトップランナーである習近平に率いられたことで、2024年の「祖国の山河は一層美しく蘇った」のだろうか。

1976年11月に入ると、共産党政治の一大特徴である“究極の手のひら返し”が、全国のありとあらゆる組織を総動員して、華々しく、騒々しく、荒々しく、猛々しく、禍々しく、止めどなく、息つく暇もなく、全国規模で一斉に展開されることになる。

だが騒々しい限りの社会状況を“真顔”で冷静に見つめ直すなら、まさしく全国民の“嬲り殺し”の標的が昨日までの林彪・孔子から四人組へと代わっただけ。林彪や孔子と同じく口を封じられてしまい、四人組にも反論の機会が与えられることはなかった。だが林彪や孔子と大きく違って、四人組は“生き恥を晒す”という屈辱を甘んじて受け入れざるを得ない立場から逃れることはできなかった。負けたら反革命の賊軍となる。《QED》