【知道中国 2668回】                      二四・四・初四

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習334)

――といった過程を経て奴隷制社会へと移行するわけだが、殷墟からの出土品で奴隷制社会の姿を具体的に明らかにすると同時に、「商代の奴隷による消極的なサボタージュが一般化していた」とし、その証拠として出土品を示しながら「商代の奴隷が道具を破壊していた現象」、ひいては「奴隷たちの反抗闘争」を明らかにしようと試みている。

『殷墟 奴隷社会的一個縮影』が説く「公社」が1958年に生まれ80年代初期に鄧小平の手で解体された人民公社でないことは言うまでもないことだが、公社成立→度重なる闘争→改革・開放→私有財産→公社解体→貧富の差拡大という現代の歩みが、古代のそれに奇妙に符合してはしないだろうか。

いよいよ運命の1976年9月である。

2日、毛沢東は3回目の心筋梗塞を発症し、危篤状態に陥る。5日、相変わらず地方を飛び回り「鄧小平と闘うのだ」などと気勢を上げていた江青ではあったが、さすがに華国鋒の呼び出しを受け北京に舞い戻り、7日は毛沢東の看病に当たっている。だが毛沢東の顔は青黒く、呼吸は止まり、血圧は上昇する。“偉大な領袖”の最期は確実に逼っていた。

9日0時10分、毛沢東の心臓は鼓動を止めた。これを中国共産党風には「マルクスに見えるために旅立った」と表現する。

毛沢東の死の瞬間から10月6日午後9時5分の四人組逮捕の瞬間まで、毛沢東という最大最強の後ろ盾を失った四人組、失地回復を狙う鄧小平が“黒幕(プランナー)”と思われる葉剣英、汪東興ら反四人組勢力、さらに毛沢東の後継者として共産党トップに就いたものの明確な路線を打ち出せずにいた華国鋒――この3者の間の虚々実々・秘術全開・冷厳多彩な権力闘争が展開されるわけだが、全ての罪を四人組に背負わせて毛沢東(=共産党)の正統性を守ろうとする政治力学が働いていることは間違いなく、とどのつまりは共産党政権が崩壊し、天安門の楼門から巨大な毛沢東の肖像画が外される時にでもならない限り、9月9日から10月6日までの1ヶ月ほどの北京の奥の院で展開された一連の“宮廷クーデター劇”の真相が明らかにされることはないはずだ。

四人組ではない。実態は毛沢東を加えた“五人組”だとの見解も聞かれるが、いずれにしても負ければ賊軍であることは古今東西を問わず永遠の真理だろう。

激動の9月に出版されたもので手持ちは『看革命文物 学革命伝統』(中国共産党第一次全国代表大会会址記念館編写 上海人民出版社)と『武術初級套路』(中華人民共和国体育運動委員会編 人民体育出版社)の2冊。

 『看革命文物 学革命伝統』は上海にある中国共産党第一次全国代表大会址記念館が編集し、四人組にとっては“紙の爆弾”の砲兵工廠でもある上海人民出版社の出版であるだけに、「前言」はメッタヤタラと興奮気味に綴られている。

 「中国共産党と偉大なる領袖・毛主席の指導の下、中国人民は28年にわたる苦しい戦いの末、ついには帝国主義、封建主義、官僚資本主義の反動統治を打ち倒し、社会主義の新中国を打ち立てた」

「この28年、中国人民は毛主席のプロレタリア階級革命路線の指導によって、度重なる険阻を突破し、種々の困難を克服し、とてつもなく巨大で複雑で曲がりくねった道程を経て、遂には新民主主義革命の偉大な勝利を得た。中国人民の革命戦争の歴史とは、まさに驚天動地で稀有壮大な偉大なる歴史の詩である」

「偉大なる歴史の詩」を書き上げた「無数の革命先烈」が「党に忠誠を誓い、人民に忠実に生き、人類にとって最も偉大である共産主義事業のために永遠に奮闘するという崇高な革命精神を誓ったことこそ、我々が学習する上での永遠の目標」であった。《QED》