【知道中国 2660回】 二四・三・仲九
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習326)
解放軍内での共通言語として普通話が使われず、それぞれの兵士がふるさとの方言に固執していたら、「黄同志、子弾(タマ)を7発。趙同志、全員を集合させよ」の命令に、王同志は卵を1個持参し、趙同志を先頭に全員が火を集めはじめたら・・・これでは戦争にならないし、最悪の場合には部隊全滅は必至だろう。(「為戦備学好普通話」)
次は鉱山の現場での例である。
新入り労働者に発破を仕掛ける穴を掘削するよう命じた。先輩の「干了嗎(やったことあるか)」に、新入りは「看過(見たことがあります)」と応じた。見ただけでは役に立たないから、先輩は削岩機を引っ掴んで自分で穴を掘ってしまう。新人の「干(gan)過」との返答が、先輩には「看(kan)過」としか聞こえなかった。だから生産活動が順調に進むわけが無く、どだいマトモな国家建設はムリだ。(「克服語言障碍為革命刻苦学習」)
ここに示した例は些か出来すぎの感なきにしもあらずだが、ある農民はこんな思いを寄せている。
「解放後、毛主席と共産党は我々を苦界から救い出してくれた。貧農下層中農民(貧乏農民)は生まれ変わって、自分で自分の運命を決することができるようになればこそ、幸せな人生を送れるというものだ。そこで一念発起してマルクス・エンゲルス、それに毛主席の著作を学習しようと思い立っても、字を知らないから読めない。聞くことしかできない」。だから「『毛主席語録』の学習など、まともにできるわけがない」(「社会主義革命和建設需要我們学好普通話」)
つまり革命を推し進め、一体化した中国を造り上げるには統一したことばが必要不可欠だ。そこで毛沢東が「全ての幹部は普通話(共通語)を学べ」と大号令を発した1958年、周恩来は「我が国の漢族人民において普通話を広く普及させることは『一つの重要な政治任務だ』と指摘した」。彼らにとって、ことばもまた政治そのものということだろう。
『積極推広普通話』は冒頭で「我が国漢民族の言語は世界中で最も発達した言語の1つだが、歴史的な要因で漢語には比較的大きな方言の違いが認められる。こういった状況は、我が国人民の政治、経済、文化生活に不都合を生ずる」と記している。
やはり「地広人多(広大な国土と膨大な人口)」がウリの中国であるがゆえに運命づけられた負の前提条件が「政治、経済、文化生活に不都合を生ずる」ゆえに、それを克服するためにも、『積極推広普通話』が必要不可欠となる。そこで周恩来の「我が国の漢族人民において普通話を広く普及させることは『一つの重要な政治任務だ』」との主張は、中国の言語文化にとって極めて重要な意味を持つことになるわけだ。
こう考えると、習近平政権による少数民族に対する漢語教育の徹底化の淵源を遡れば、『積極推広普通話』に行き着くようだ。言語の統一は絶対権力行使のインフラに違いない。
『中国人名地名拼写規範化問題』(文字改革出版社)によれば、当時の中国は「第三世界」――現代風に翻訳すれば「グローバル・サウス」――の国々と積極的に国交を結び、第三世界との交流を盛んに進めていた。そこで起きた不都合が、漢字表記の人名や地名をローマ字で表記する場合の方法が一定ではなかったこと。たとえばPeijingと発音する北京をPekingと、天津(Tianjin)をTien Tsinと表記するように。そこで人名と地名のローマ字表記の基準を定めようと主張するのだが、国際化に向けた試みとも受け取れる。
『朝鮮語自学読本 第二冊 会話』はそれまで出版された外国語学習読本とは些か色合いを異にし、過激な政治的主張が薄まり、効率的に朝鮮語が学べるように工夫されている。
『中国人名地名拼写規範化問題』であれ『朝鮮語自学読本 第二冊 会話』であれ、敢えて政治色を避けようとしているようでもあり、なんとも不可解ではある。《QED》