【知道中国 2658回】                      二四・三・仲五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習324)

最後に登場するのはもちろん『毛主席語録』で、「社会主義制度は究極的に資本主義制度に取って代わる。これは人々の個人的意志によっては転換しえない客観的法則である。反動派が歴史の歯車の前進を止めることを狙ってなにを企てようとも、遅かれ早かれ革命は起こり、プロレタリア階級が必然的に勝利を勝ち取るのだ」と教える。

 まさにプロレタリア階級暴力革命への猛々しくも狂おしいばかりの雄叫びである。

改めて、以下に『国際共産主義運動簡史(1848-1917)』の要旨を纏めてみた。

――世界は19世紀の40年代に「プロレタリア階級と革命人民が世界を認識し改造するための鋭利な武器」として、「プロレタリア階級革命の科学的理論」であるマルクス主義を獲得した。

以後、1848年のヨーロッパ革命の嵐という試練を経てマルクス主義は発展した。第1インター期、マルクスとエンゲルスは一切の機会主義に反対し、パリ・コンミューンにおける試練をプロレタリア階級は克服し、欧米における建党闘争の渦中でマルクスとエンゲルスは再び機会主義と徹底した戦いを展開する。

マルクス死後、エンゲルスはマルクス主義の戦いを断固として推し進め、やがて革命の松明はレーニンに受け継がれた。

レーニンは、革命を勝利に導くための鉄の規律で武装された新しいマルクス主義政党を建党した。1905年の革命退潮期に機会主義に反対し、反殖民地を掲げる民族闘争においては修正主義に反対し、対帝国主義戦争においては第2インターの修正主義と戦い、1917年、ついに社会主義10月革命に勝利し、人類史における新しい紀元を切り拓いた――

ここではマルクス、エンゲルス、レーニンが一貫して機会主義に反対した姿勢を最大限に評価しているが、勇ましい表現とは裏腹に行間に漂う悲壮感は何とも痛々しい限り。見方を換えれば、本書は毛沢東原理主義(文革+四人組)の黄昏を暗示しているとも思える。

ところで本書は「レーニン主義誕生以後、世界情勢に大いなる変化が起きた。レーニン主義の基本原則は時代遅れになったわけではない。依然としてプロレタリア階級の革命と独裁の理論的基礎であり続ける」とし、「偉大なるレーニンは永遠に不滅だ!」と結んでいる。ということは、中国共産党の最後の拠り所はレーニン主義とも読み取れるわけであり、ならば現在の習近平政権下の中国を取り仕切っているのが《市場レーニン主義》だと考えたとしても、強ち荒唐無稽な話でもないと思えるのだが。

『《斉民要術》及其作者賈思勰』は、巻頭に『毛主席語録』から「中華民族の文明の花が咲き誇る歴史に目を向ければ、発達したと無条件に讃えるべき農業と手工業があり、多くの偉大な思想家、科学家、発明家、政治家、軍事家、文学者や芸術家があり、そして豊な文化典籍があった」を引いている。

本文では毛沢東の著作から引用した多くの片言隻語を金科玉条として散りばめ、著者の主張の正しさを誇示し、読者が疑問を持つことを断固として許さないといった決然たる雰囲気が行間から立ち上る。中華文明に対する問答無用・批判無用の大讃辞の砲列である。

『斉民要術』の著者である賈思勰を法家であり反儒教思想の持ち主であったと大いに讃え、名もなき農民から積極的に学んだ実践家であり、素朴な唯物主義者といった評価を積極的・全面的に展開する。以下、その論旨の大筋を見ておくと、

――「歴史上の法家と同じく賈思勰も法家の農耕重視の思想から発し『富国強兵』の道を求めた」。「法家思想はなによりも農耕と生産労働を重視する」。「多くの歴史的事実が物語っているように、法家が掲げる『富国以農(国を富ますに農を以ってす)』との政策を実行してこそ、腐敗した政治状況を改めることが可能となるのである」《QED》