【知道中国 2653回】 二四・三・初五
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習319)
『韓非子選評』(北京二七機車車輌工廠・北京盧溝橋農場・首都鋼鉄公司・四五一四部隊・北京大学中文系《韓非子選評》小組 中華書局)は、『韓非子』を構成する「定法」「難勢」「有度」「和氏」「顕学」「忠孝」「孤憤」「二柄」「説疑」「五蠹」「問田」の各章に詳細な注記を施し、現代語で分かり易く訳している。批林批孔運動の過程で生まれた「社会主義新生事物」である「工農兵による法家の著作の詳細な解読作業」の成果の一環であると自賛する。
ここで興味を抱かざるを得ないのが「工農兵による法家の著作の詳細な解読作業」の内実だが、『韓非子選評』は次のように説明している。
――「法家は奴隷制が封建制に転換する闘争の過程で生まれたものであり、歴史発展の潮流に即応し、新興地主階級による革命の要求を反映している」。つまり革命の本質として階級闘争の過程で新旧両階級の間で必然的に激烈な闘争が繰り広げられる。
「現在、我々プロレタリア階級は人類史において最も偉大な階級であり、その偉大な革命力量と不撓不屈の意志は歴史上、どのような階級をも遙かに凌駕している」。プロレタリア階級の前に立ちはだかるブルジョワ階級との激越な戦いは終わったわけではない。
だから一瞬の気の緩みも見せてはならないし、「プロレタリア階級独裁、プロレタリア階級独裁下での永久革命を堅持し、党の基本路線の導きを受け、なんら恐れることなく革命精神を発揚させ、前進を止めることなく、時代を後退させる策動に断固として反対し、社会主義革命を徹底して推し進めよう!」――
なんとも激越な調子で語られているが、どう考えても「工農兵による法家の著作の詳細な解読作業」と「社会主義革命を徹底して推し進めよう!」が結びつきそうにない。
異様な時代といってしまえばそれまでだろうが、なんともワケの分からない時代だった。
次に少しだけでも気分を変えて、『家用 縫紉機維修知識』(広東縫紉機厰編写組編 広東人民出版社)を取り上げてみたいと思う。
やはり時の流れとは残酷で恐ろしい威力(魔力、いや狂気?)を秘めているようだ。かつては挙国一致で謹厳励行したことが、いまや(ヒョッとして当時も)お笑いでしかなくなってしまうのだから。その典型が『家用 縫紉機維修知識』だろう。なにせ毛沢東思想によって、ミシンの維持・管理・修理を学ぼうというのだから。これはビックリ仰天だ。
表紙を繰ると目に飛び込んでくるのは、「一切の民衆の実際の生活問題は、すべて我々が注意すべき問題である」「努めて倹約に励み、少ない資金で多くの事をなそう」「自ら手を動かして満ち足りた衣食(せいかつ)を」(『毛主席語録』)である。続く「前言」でミシンと中国革命の歴史的関係を諄々と説くのだが、さて革命とミシンの関係とは!?
――家庭用ミシンは人民が生活するうえで必需品となった。ミシンは手縫いより早いだけではなく、仕上がりが綺麗で丈夫だ。わが国の生産と人民生活の向上に伴って、より多くの労働者・農民・兵士がますますミシンを使うようになり、労働者の宿舎だけでなく人民公社の各家庭でも、遠い島でも山間僻地でもミシンの音が聞こえるようになった。
ミシンは労働人民が実践の中から創りだした。17世紀半ば、フランス・リヨンの裁縫労働者が世界で最初のミシンを考え付いた。資本主義社会において、当初、その発明は人々から注目されることなく、大道の見世物として扱われる始末だった。現在の多種多彩な機能を持つミシンも、こういった不幸な歴史を背負わされてきたのである。
解放前の旧中国は独力でミシンを製造するだけの工業力を持たず、外国製ミシンに中国市場は独占されていた。その後、上海や広州などでミシン製造工場が生まれたものの、実質的には外国から輸入した部品を組み立てることしかできなかったのである。《QED